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review

アワ・ボディ

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小橋めぐみ


語りかけてくるものは、セリフよりも、
映し出された女たちの身体であり、その肌の質感だ

20代の時、「30代は楽しいよ。30歳になったら楽になるよ」と年上の人たちに言われ、それを信じていたけれど、これは全ての人に当てはまるわけではなく、それなりの順調な人生があっての「楽になる」であり、そこからこぼれ落ちたら、20代よりキツイと身をもって実感したのは、30歳から1年経った31歳の時だった。

同級生たちは家庭をもったり、会社でも上司の立場になり始めているのに、私は、結婚もせず、仕事も滞りがちで、何一つ、先の見えない中にいた。

「アワ・ボディ」の中で、娘に期待する母親に対し、主人公のチャヨンは「私もう31歳よ」と言う。

その時の、なんとも言えない母の顔と、その「31歳」という年齢に込められた自身への諦めと失望。母と娘の、両方の気持ちが痛いほど分かった。

部屋の鍵まで渡している彼とのセックスも、間近に迫った国家試験も、どこか上の空のチャヨン。

布団を敷くこともなく、コンタクトをつけるのさえ面倒くさいのか、分厚いメガネをかけている彼女に、とうとう彼は愛想を尽かし去っていく。

「公務員は無理でも人間らしく生きろよ」と言って。

そう言われても、今のチャヨンには何も響かない。
突然の別れにも、動じる様子はない。

夜。コンビニの袋を下げて、重い足取りで長い石段を登っているチャヨンは、疲れたのか階段の途中で座り、缶(おそらくお酒)を開けて飲み始める。

すると、傍らにあった袋から転がり落ちてしまった他の缶を、軽快に駆け上がってきたランナーの美しい女性がサッと拾ってチャヨンに渡す。

転がった酒の缶は、まるでチャヨン自身のようだ。
学生時代は成績優秀だった彼女は母親の期待を背負いながらも、公務員試験に落ち続けるうちに31歳になり、自信を失いかけていた。

階段で出会ったランナー、ヒョンジュとの出会いをきっかけに、チャヨンは少しずつ走りはじめる。

もともと勉強熱心だった彼女は、動画で走法を学んだり、ヒョンジュから教えられたことをスポンジのように吸収して、走れる距離を伸ばしていく。

走ることを通して、チャヨンは体も心も変化していく。
その小さな変化の一つは、コンタクトをつけるようになったことだ。

汗で落ちるかもしれないメガネより、コンタクトの方が走りやすい。
また、走ることで徐々に痩せ、履けなくなっていた洋服が入るようになり、身のこなしも表情も、明るくなっていく。

同級生の紹介で、大企業でのアルバイトも始め、定期収入を得られるようになる。

小さな変化が重なり、彼女の取り巻く環境も変わっていく。

社会人になって痛感することは、圧倒的な運動不足だ。
自発的にしていかないと、遅刻でもしない限り、走ることさえない。そしてあっという間に身体は硬く、重くなっていく。

階段を登るだけで、息がきれる自分にある日、唖然とする。
ここで体を動かすことを日常に取り入れるか、そのままにするのか。

小さな別れ目があるように思う。

ただこの映画は、走ることを通して人生が好転すると言うような、単純な話ではない。

ある意味、わかりやすさとは対極にあるようなストーリーであり、語りかけてくるものは、セリフよりも、映し出された女たちの身体であり、その肌の質感だ。

階段で、缶を拾い渡そうとしたヒョンジュの手から腕、脇、そして顔へと映し出されるそれは、ヒョンジュという女性にも、憧れのようなものを感じはじめていることが伝わってくる。

自身の身体感覚さえ曖昧だった彼女が、ようやく反応し、目覚めるであろうことを予感させる。

ヒョンジュは、腕の振り方やシューズの紐の結び方など、走る時に大事なことをチャヨンにたくさん教えるが、中でも印象的なのは

「疲れたら私について走って。私の力を吸い取る気でね」

と言う言葉だ。

静かな生命力に溢れた彼女に引っ張られることで、チャヨンの眠っていた生命力もまた引き出されていく。

ヒョンジュのランナー歴が長いことを知り、足手まといになることを心配したチャヨンに「友達ができて嬉しい」と、伝える。

この二人の関係は、少しずつ友達以上の愛情の芽生えを匂わせるが、確実なものは何も描かれない。

それが返って、「同性愛」とカテゴライズされてしまう関係だけではない、女が女に惹かれる刹那が散りばめられている。

走ること、そしてヒョンジュとの出会いによって自分を取り戻していくように見えたチャヨンだったが、その矢先、ヒョンジュの様子がおかしくなり、突然、彼女はこの世から姿を消す。

憧れのヒョンジュと同化することで、心に空いてしまった穴を埋めようとしたのか、かつてのヒョンジュの発言を真似したり、危うい行動に出るチャヨンは、とうとう会社での居場所を失ってしまう。

私は10代最後の冬、視覚障害者の方の伴走者として、テレビ番組の企画で、ホノルルマラソンに挑戦したことがあった。

日本で練習を重ね、ハーフマラソンにも出場し、完走した。初めてのフルマラソンは、タイムより、とにかく走り切ることを目標にスタートしたのだが、30キロ近くになって、足に限界が来た。

あともう少しあの木まで。
あの木に着いたら、あの曲がり角まで。そうやって少しずつ距離を伸ばしていったが、とうとう立ち止まってしまった。

一緒に走っていた女性はトライアスロンにも出場しているほど運動神経抜群で持久力があったので、私が立ち止まらなかったら、走り続けることができた。

ずっと謝りながら歩き、ようやくゴールに辿り着いた時には、涙が止まらなかった。

一緒に走ってくれた彼女にも、感動のゴールを想定していた番組スタッフの方達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

以来、走ることから完全に遠ざかっている。
しばらくは、マラソンと言う言葉を聞くだけで、胸がずきんと傷んだ。

途中で止まってしまったとはいえ、あれだけ走れるようになっていたのだから、次の年も挑戦すればよかった、と今になって思う。

まだ19歳だったのだから。

映画の中で、いい方向に変化していた娘が、再び立ち止まってしまったことを感じ取った母親は「もう少し頑張れば翼が生えて飛べるのにね。ふびんな子だわ」と言う。

私の母の口癖は「あなたはあと一歩の頑張りが足りない」だ。
もう少し、あと少し、あの先まで、あと一歩。

その一歩を前に力尽きてしまうチャヨンを見つめる母と、私の母が完全に重なり合う。

けれど、ラストシーンを見て、私は救われた気持ちになった。

走ってきたこと、挫折したこと、恋愛、友情、社会の中での自分の立ち位置、その全ては、この身体が受け止め、刻み込まれている。

自分の体に押し込めていたもの、それを解放することによって、彼女がこれからどうやって生きていくのか。

何も説明はないのに、きっとこれからはチャヨンが主体的に生きていくであろう予感が、その喜びが、身体中を駆け巡った。

身体感覚に訴え続けてきた映画だからこそ、描くことができるこのラストシーンの神々しさに震える。

震えながら、もう一度、走りたくなった。
今度は、自分のために。



「アワ・ボディ」

監督:ハン・ガラム
出演:チェ・ヒソ/アン・ジヘ
2018年/韓国/95分

映画配信サービス「JAIHO」にて配信中


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