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「エディ アリス:リバース」

review

全州国際映画祭2025

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佐藤結


(セクシャル・マイノリティは)最も自分らしい瞬間から
他人が望む“私”の姿に至るまで、毎瞬間、
刹那ごとにパフォーマンスをしている

秋の釜山国際映画祭を筆頭に、全国各地で様々な特徴を持つ映画祭が行われている韓国。4月30日から5月9日にかけて、南西部に位置する全北特別自治道の都市・全州で開催された全州国際映画祭は、インディペンデントや実験精神に富んだ作品にフォーカスすることで釜山での差別化をはかりながら、今年26回目を迎えた。

09年以来、15年ぶりに足を運んだ同映画祭で見た映画のなかから2本について書いてみたい。

「エディ アリス:リバース」(監督:キム・イルラン)

10日間の期間中に上映された映画は世界57カ国から集まった224本。私が見られたのはルーマニアのラドゥ・ジューデ監督が手掛けたオープニング作品「Kontinental '25」と15本の韓国映画だった。

そのなかで感じたのは、居場所のない若者たちやセクシャル・マイノリティを主人公とした作品が多かったこと。

自身もオープンリー・ゲイで、短編「ただの友だち?」(09)などが日本で公開されたこともあるキム=ジョ・グァンス監督の「夢を見たと言って」のように、児童養護施設を退所しなければならなくなったゲイの青年と年上男性との出会いを描いた作品もあった。

今回の映画祭でドキュメンタリー賞を受賞した「エディ アリス:リバース」は、セクシャル・マイノリティ文化人の連帯組織である、薄いピンクのスカート(PINKS)の一員であるキム・イルラン監督の作品。

09年にソウルの龍山地区で立ち退きに反対する住民と警察が衝突して死者を出した「龍山撤去民死亡事件(龍山惨事)」の真相に迫った「二つのドア」(11)、「共同正犯」(16)というドキュメンタリーで知られる彼女が、ふたりのトランスジェンダー女性にカメラを向けている。

映画の発端は、ソウルでセクシャル・マイノリティの青少年のためのカウンセラーをしているエディさんが、3人のトランス男性にカメラを向けたドキュメンタリー「3xFTM」(08)を発表しているキム・イルラン監督に「自分のことを撮ってほしい」と伝えたことだったという。

承諾した監督は、いまだに彼女のことを“息子”と呼ぶ父親をエディさんが何度も訪ねる姿や、自分がなぜ性別移行のための手術を受けるのかを辛抱強く母親に説明する様子を至近距離から見つめるだけでなく、手術が行われるタイにも同行する。

興味深かったのは、エディさん自身のインタビューを、小劇場のステージの上で、まるで公演をするかのように撮影していること。

そこには「(セクシャル・マイノリティは)最も自分らしい瞬間から他人が望む“私”の姿に至るまで、毎瞬間、刹那ごとにパフォーマンスをしていると思う」という監督の意図が込められている。

やがて、もうひとりの主人公アリスが登場する。
照明スタッフとして撮影に参加している彼女は、それまでも映画のなかに存在していたのだが、突如、カメラの方向が変わり、別の物語が始まる。

同じトランス女性ではあるが、エディとはまったく違う日々を生きてきた彼女の姿は、「トランスジェンダー」とくくられる人々がいかに多様で、固有の存在であるという、当たり前のことを伝える。

彼女が夢だったというダンスのレッスンに打ち込むシーンは、人生をかけて格闘してきた自分の身体との対話のようだった。

ちなみにキム・イルラン監督は今作のタイトルからリバースという言葉を除いた「エディ アリス」というバージョンを上映する構想も持っているとのこと。

エディとアリスの登場順だけを逆にし、その意味の違いを見てほしいと話していた。

そこには、ふたつの性だけを自明のものとし続ける頑なな社会をときほぐすためには、映画という表現自体の可能性を広げなければいけないという意思が感じられた。

「冬の虎」(監督:チョン・ユンチョル)

「エディ アリス:リバース」のキム・イルラン監督は「龍山撤去民死亡事件」についての映画を作っているだけでなく、14年に起きたセウォル号沈没事故の遺族たちとともに活動を続け、昨年はセウォル号惨事10周忌映画プロジェクト「春が来る」の総括プロデューサーも務めた。

そんな彼女が映画雑誌『シネ21』とのインタビューのなかで「セウォル号が沈没した後、ダイバーの方々が子どもたちを冷たい海の中から引き上げる姿。真相究明のために撮影せざるを得なかったその映像は、今でも見ることができない」と振り返っている。

「マラソン」(05)や「代立軍 ウォリアーズ・オブ・ドーン」(17)などのチョン・ユンチョル監督が手掛けた「海の虎」は、その「あまりにもつらすぎて直視できない」光景を描いた。

キム・タクファンの書いた社会派ミステリー小説『嘘だ』を原作に、命がけで遺体の収容にあたった民間ダイバーたちが体験した理不尽な出来事を振り返るこの作品は、当初、100億ウォン規模の大作映画として企画された。

しかし、コロナ禍を経て企画は頓挫。
諦めきれなかったチョン・ユンチョル監督は、「舞台のリーディング公演のように映画を作ってみたらどうか」と考え、練習用のスタジオを借りて自らが撮影と照明も担当。

俳優たちの演技と音響効果だけで見せていくという手法で映画を完成させた。

上映後のQ&Aに登場したチョン・ユンチョル監督が「演劇的に撮った映画らしい映画」と語っていたように、クローズアップ、編集、サウンドエフェクトの力を最大限に使った実験的な作品となり、ダイバーたちが自らの手で遺体を抱きしめ、水中から慎重に浮上してくるシーンなど、“リアル”ではないやり方で、観客の想像力と感情を揺さぶる効果を上げていた。

窮地に追い込まれた監督の熱意と発想、厳しい演出に応えた俳優たちの力量に、苦境にある韓国映画の底力が感じられた。

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「冬の虎」


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