*

「卒業する頃、ヤン監督は『エドワード・ヤンの恋愛時代』の準備に入っていました。そのとき、監督から『脚本に加わってほしい』と言われたんです。監督は私が書いたものを読んだわけでもなかったのに、参加してほしいということだったんです。『牯嶺街〜』のときだって端役だったにも関わらず、監督は私をスタッフに抜擢しようとしてくれたんです。後で聞いたら、私に中に何か光るものを見たと仰ってくれました。映画人としての素質を見つけてくれたのです。そして、きっと監督として映画を作る側に回るだろうと感じたそうです。それで、脚本よりもっと基礎を学びたい、映画作りの最初のところから学びたいと希望して監督のアシスタントに、助監督ではなく助手になりました」

そうして本格的に映画人としての一歩を踏み出し、すっかり映画の虜になったと語る。
「ヤン監督の現場に入って、私は自分が『牯嶺街〜』のときは映画というものがどういうものなのか、全くわかっていなかったと気づきました。当時は自分がその日に演じる部分だけ、ほんの1枚その箇所の紙を渡されるだけだったので、全体像がまるで見えていなかったんです。でも、出来上がったものを見たとき、ああこういうものだったんだ、映画ってこんな風に作られるんだ、と映画にすっかり魅了されてしまいました。それから映画が大好きになって、私も映画の道に進もうと決心したわけです。『ヤンヤン 夏の思い出』では私が演技指導をする立場になりました。ヤン監督は『牯嶺街〜』のときは俳優に直接演技指導をしていましたが、その後は演技指導をする人を通して、具体的に指示を伝えていたんです。最後の作品で私がその役を担うことになったのです」

チアン監督にとって、もう一つの大きな出会いがあった。それはホウ・シャオシェン監督の現場だった。
「私がフランスに1年留学して帰国する頃、ホウ・シャオシェン監督は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の撮影準備に入っていました。それを知って、ぜひまた映画の現場で勉強したいと思ったのです。実は私はそれまであまりホウ監督の映画を見たことはなかったんですが、この映画には当初トニー・レオンとマギー・チャンがキャスティングされていると聞いたので、とにかく撮影に参加したいと思いました。まあ、結局マギー・チャンは出演しなかったんですが。ホウ監督組に入るにあたって、『牯嶺街〜』の録音監督だった杜篤之さんが私のことをとても気に入ってくださっていたので、監督に推薦してくださったという縁がありました」

映画を目指す人であれば、誰しも参加してみたいだろう二人の監督の現場を体験してみて感じたことを聞いてみた。
「お二人のスタイルは全く違っていますが、映画に向き合う態度は同じだったと思います。映画を撮るときの姿勢。それは私にとって後の映画人生に大きな意味をもたらしました。ヤン監督は哲学者のような理性的な方で、あらかじめきちっと組み立てておき、それに従ってきちんと撮っていくというスタイルでした。ホウ監督はとても感性を大事にする人で、現場でその瞬間に感じたことをもう一度組み立てて撮っていくというタイプの監督です。まさに詩人のような感じの方です。ただ監督は、自然に任せて撮ってはいてもテーマから外れるということはありません。そういう意味でホウ監督の映画に対するコントロールは自由自在だったと思います」

偉大なふたりの監督から学んだことは、単に映画作りの技術ではなく、映画との向き合い方だった。
「絶えず映画に対する思いを持ち続けている両監督から、私は映画に対する姿勢を学びました。映画を撮るのは容易ではありません。ですから、誠実に慎重に映画に向き合う必要があります。そこが一番影響を受けた点です。ふたりとも自分に誠実に向き合うことを課していた。自分とどれくらい誠実に向き合えるか、それが大事だと。映画作りは創作であって仕事ではないのです」
 彼らから多大な影響を受け、自ら創作に向かったチアン監督。次回は彼女の監督作品についての話をお届けしたい。

Written by:小田香


チアン・ショウチョン(姜秀瓊)
1969年5月4日生まれ。国立台北芸術大学大学院電影創作科卒。大学在学中、エドワード・ヤン監督の「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」(‘91)に主人公の姉役で出演。卒業後はヤン監督、ホウ・シャオシェン監督のスタッフを務め、2008年、短編映画「跳格子」で高く評価され各賞を受賞。監督作に「風に吹かれて キャメラマン李屏賓(リー・ピンビン)の肖像」(’09)、「さいはてにて〜やさしい香りと待ちながら」(’15・日本)など。


[関連記事]
PEOPLE/チアン・ショウチョン 前編
PEOPLE/チアン・ショウチョン 後編


「あなたを、想う。」公式サイト
「台北暮色」公式サイト