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万田邦敏/万田珠実
愛のまなざしを

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編集部


僕の中でその「だんだん」をどうやって撮ったら
良いかというのが致命的に分からない

――今回、万田監督は、脚本の万田珠実さんとの3回目のタッグということで、これまで「UNloved」と「接吻」で確立されてきた強い女性を描く万田夫妻映画というものを、周囲も期待しているところがあったと思うのですが、「愛のまなざしを」はやはり違うところがあると思うのです。その辺りは監督としてはどのように考えておられますか。

万田邦敏(以下、万田) 僕は、「UNloved」と「接吻」とのつながりということはまったく考えていませんでした。それは珠実もそうだったと思います。「UNloved」も「接吻」も主人公の女性に関して、こういう人はいいなという思いはあったけど、今回の「愛のまなざしを」の主人公の綾子に関しては、興味深い人だとは思いましたが、いいなという思いはあまりありませんでした。その意味でも、今回の映画を前の二作とつなげていくという意識はなかったですね。

万田珠実(以下、珠実) もともと「UNloved」と「接吻」ですらつながりはなかったし、今回もなかったですね。「UNloved」は、プロデューサーに「何かない?」と聞かれて、それまで自分が見聞きして内に貯めていたものを出しましたけど、「接吻」は与えられた設定の中で、自分が動かせるキャラクターを自分が動かしていくという作り方をしました。それは「愛のまなざしを」も一緒です。与えられたテーマが「獄中結婚をする女」(「接吻」)と「嘘をつく女」(「愛のまなざしを」)ということで、自分では考えたことがなかった設定という意味では一緒なんですけれども、「接吻」の主人公の京子の場合は、とんでもない人だと思いながらも、書いているうちに最後は気概のある女だなと思える人になったのに比べると、「愛のまなざしを」の綾子は最後まで掴みどころがないままでした。撮影が始まってから、仲村トオルさん演じる貴志を主役にしようという思いが前面に出てきたので、綾子が余計に中途半端になったところもあったかもしれません。

――今回、綾子も複雑なキャラクターだし、仲村トオルさんの演じる貴志も複雑なキャラクターだし、斎藤工さんが演じる茂も複雑なキャラクターで、それが重なりあっていて、私は2回映画を見て、その複雑な関係性がほぐれてきたところがあったのですが、1回目はセリフの勢いにも押されて、見る側も振り回されて、最後まで行っちゃったところがありました。そういう意味ではちょっと複雑すぎるのかなというところがありました。

珠実 できれば他の人が書かないものを書きたいと思っているので、こういう設定だったら普通こうなるよね、というのを外していることが多く、それが話を複雑に感じさせる要因になっているかもしれませんね。

万田 僕はあんまり複雑だとは思ってなくて、綾子は嘘をつく人、貴志は死んだ奥さんにいつまでも囚われている、ちょっと狂ってる人、茂はお姉さん思いで、貴志のことを憎んでいる人。で、そのことに複雑さはなくて、ただ、映画を見る人が彼らの心理や行動に先入観があると、自分が期待したようには展開していかないので、複雑さや分からないという印象が生まれるのかな、とも思います。最初から、嘘つきの女と狂った精神科医とお姉さん想いの弟と分かれば、そんなに複雑なことはないんじゃない?

珠実 脚本を書いているときに夫から「一つのシーンに幾つもの感情や思考を入れ込むな」とよく言われるんですけど、私はどうしても複数の意味を含ませたくなるので、そのせいもあるんじゃないですか。

万田 あとスピード感の問題があって、何が起きているかということを咀嚼している時間があまりない。それは僕の演出のスタイルで、僕自身が見てきた面白いと思う映画は、そうなってるなと思っているので、それで僕の映画が早すぎるということは言われるのね。おそらく、僕が思っている1950年代、60年代のアメリカ映画のスピード感を再現したいと思うあまり、余韻がなくなってしまうんだと思う。

珠実 普通、男女が知り合って、仲良くなって、結婚するんだったら、だんだん仲良くなるという、その「だんだん」というのを描くし、それが、女性が恋愛映画を見るときの楽しみだと思うのだけれど、その「だんだん」がなくて、「私で良いのね」っていう次にはもう一緒に住んでる。気持ちの盛り上がりのような部分がなくなっているから、あ、これは恋愛映画じゃないんだってなりますよね。それはそれで良いんだと、作る方は思っていても、見る側はそういう気構えが出来てないから、置いていかれるところはあるんじゃないですか。

――だから、恋愛映画の要素もあるし、ホラーの要素もあるし、そういう複雑さも……。

万田 ホラーを作ろうとは全然してないよ。

珠実 サンスペンスの要素はあったけどね。ヒッチコックの「めまい」ぐらいの。

万田 でも「めまい」もサスペンスではないよね。あれは変な映画だからね。そう、だからいま言った「だんだん」の要素も「めまい」にはなくて、ジェームズ・スチュワートがキム・ノヴァクを最初に見た瞬間から、あ、こいつキム・ノヴァクにいかれちゃったな、という。それと、僕の中でその「だんだん」をどうやって撮ったら良いかというのが致命的に分からないというのもあるのね。パッと会って、パッと見つめ合って、パッと好きになる、それでいいじゃん、っていう。

――ただ、例えば「接吻」なんかの場合は、遠藤京子(小池栄子)と坂口秋生(豊川悦司)の関係で押していくところがあったので、そんなについていけないという感覚はなかったんですが、「愛のまなざしを」の場合は、貴志(仲村トオル)の家族の話があったり、綾子(杉野希妃)と茂(斎藤工)の関係だったりが入ってくるので、どれも無駄だとは私は思わないですが、万田監督が最初に言っていた貴志と綾子と茂の3つのキャラクターというのが、最初から入っていないと、どこに焦点を当てて見たらいいのか戸惑うというところが複雑さの印象につながっていると思います。逆に言うとその関係が見ているうちにどんどん変わっていくという面白さもあったのですが。

万田 そういう映画を作ろうと思ったわけではなかったんですが、そこが面白いと言われたりもするので、結果的にそういう映画になったんだなとは思いますが。

――私の率直な感想は、非常に緊張感のあるタッチで、いまストーリーの話とかキャラクターの話が出ていましたが、私にはキャラクターの表情、特に仲村トオルさんの表情がすごく入ってきて、仲村トオルさんの顔の映画とも言えるんじゃないかと思いました。ずっと見ていると、仲村トオルさんの顔が削ぎ落とされていて、その陰影がだんだん狂気を帯びていく。優しさがだんだん消えていって、顔の肉が削ぎ落ちていく感じがすごくて、この映画は顔の映画なのかなと思いました。だから私には、ストーリーのことはあまり気にならなかったですね。つまり主人公の仲村トオルがだんだん狂っていって、だけどバッドエンドではなく、最後には救いもあるということで、とても楽しめました。そこで、映像の構築の仕方はどうされたのかな、というのが聞きたかったです。

万田 そうですね、僕は、カメラマンに「ここからこれぐらいの画で撮って」という話はするけど、あとはもうほとんどお任せです。照明に関しても、細かいことはほとんど言わずに、カメラマンと照明マンの作ってくれたものに対して、よっぽど違っている場合を除いては言わないですね。特に最近は、僕は画に関して細かいことは言わなくなっちゃった。カメラマンの山田達也さんと照明の玉川直人さんは、映画美学校で撮ってる短編も含めると4回目になるのかな。なので、もうお互い分かっているので、それもあって、お任せに近い形ですね。

――でも、振り付けというか、どう動くかということについては結構指示を出されるんですよね。

万田 それはたくさん出します。リハーサルとか、カメラが回る前に「段取り」と言って、一回どんな風に演者が動いていくかを作っていく時間があるのですが、その時に細かく芝居を作っていきます。「段取り」はスタッフもみんな見ていて、ある程度動きが決まると、じゃあワンカット目はこっちから、ツーカット目はこっちから、と指示を出してそれで撮っていきます。過去に同じスタッフと、そういう撮影の仕方で何度もやっているので、スタッフは分かっている訳。ただ、僕が、演者がものすごく動く芝居を作るので、カメラをどこまで演者の動きに付けていくかとか、それからどこまで明かりを作るかとか、それはけっこう大変みたい。部屋の一箇所だけで芝居が済めば、そこの照明プランだけで良いんだけれど、演者が部屋の隅から隅まで一つのシーンの中で動いていくので、そうすると全体の照明を作っていかなくてはいけないというのがあって、その辺は、もう何度もやっているので心得てやってくれているというのはあります。多分、初めて組んだりする人だと、えっそこも映すの?なんでこのシーンで、テーブルから廊下の向こうまで行くの?みたいなことになるんでしょうけれど、そこはもうみんな分かってやってくれているようですね。

――綾子がしゃがんで、茂が立ったままで、ゆっくりしゃがむ綾子から茂を撮るというような動きも、連動していないと撮れないですよね。

万田 さっき言った「段取り」のときは、まだその芝居をどう撮ろうということは全く考えてなくて、撮り方どころか芝居そのものもあらかじめプランというのは作ってなくて、その場で演者に動いてもらって、だんだん動きが決まってくると、この芝居はここから撮ろうとか、あっちから撮ろうとかが決まってくる。何度か芝居をやってもらって、僕がその芝居をいろんな角度から見て、あ、ここは移動で撮ろうと思うと、その芝居を僕自身がゆっくり歩きながら見ていたりするのよね。ここはクレーンだな、と思うと、しゃがんだ姿勢からぐうーっと(体を持ち上げる動作をしながら)立ち上がったりする。そういう僕の動きをカメラマンも一緒に見ていますから、カメラマンも、あ、ここはクレーンかなとか、レール移動かなとか、察していますね。

珠実 今回は室内が多かったけど、もしお金と時間があって、もっと大きなクレーンとかドローンとかが使えるとしたら、そういうのはクランクイン前にあらかじめ用意しておかないといけないですよね。だからいま言ったような演出は、言い換えればあらかじめ車に用意してあるものを使ってできる範囲で演出していくってことでもありますよね。

万田 撮影中は、移動車やレールや小型クレーンは常備してあって、ここは移動ってなるとすぐにレール移動車が出せる状態ではあります。でも、もっとお金があれば、スタジオでセット組んで撮りたいというのは、あるね。なぜかというと、カメラも照明も比較的自由に置けるし、動けるし、組めるし。で、やっぱりいわゆるロケセット、あらかじめ出来上がっている建物の中でやると、例えば人物につけてカメラがぐるっと向こうまで回り込んで撮りたいと思っても、それはなかなか無理ということがあるからね。お金があれば、もっと自由にカメラも動けて、横だけでなく、上も下もということはあるけれど。

珠実 そうすると、あらかじめプランも必要になってくるよね。

万田 スタジオの方が特機(レール・クレーン等)は使いやすいということはあるね。照明も組みやすい。

――今回、「接吻」に比べるとロケが少ないかなと思ったのですが。

万田 それは脚本で切ったということがありますね。そもそもクリニックの外観とか、クリニックに至る街の風景とかも、もとの脚本にはあったんだけれど。

珠実 確かに、これはロケで無理だねというところがいくつか、例えば、子どもが学校でいじめられているシーンとかも、予算と撮影期間で削除したということはありますね。

万田 ただ予算の問題とは別に、クリニックの外観とか、クリニックに至る風景とか、貴志と茂が会う喫茶店の外観とか、そこに入っていく貴志とかいうシーンは、僕がさっさと切りました。必要ないや、って。

――綾子の実家は、ちょっと不思議で面白かったですね(笑)。「Unloved」も「接吻」も、主人公が住んでいるアパートが結構、ボロくて素敵だったんですが。

珠実 綾子の実家のロケセットは、昭和の時代物を撮る用のロケセットだったようです。

――貴志の診察室が地下というのも、とてもユニークでした。

万田 あれもね、一軒家のロケセットで、実は診察室の上(1階部分)が、綾子と貴志が住んでいる部屋なんですよ。最初は、制作部が上を見つけてきて、下も使えますよということになって、じゃあ診察室にしちゃおうということになったんですね。だから最初、診察室が地下というイメージはなかったんです。ただ、一般的な診察室のイメージは嫌だなとは思っていました。小さなビルの中の、何とかクリニックというような狭いスペースは嫌だなとは思っていたんです。その手の場所にいろいろロケハンも行ったけれど、しっくり来なくて。

――私は、学生映画の時代から万田さんの映画を拝見してきたんですが、「UNloved」を見たときに本当に衝撃を受けて、増村保造とかと全く違う新しい女性映画みたいなものが出てきたと思ったんですね。そうすると第二弾として「接吻」が作られて、初日に見に行ったんですが、これも素晴らしい映画で感動しました。今回の「愛のまなざしを」も拝見して、期待に違わず素晴らしかったのですが、過去の2本と今回はちょっと違うな、という印象はありました。恋愛に全存在を賭ける孤独な女性が登場すると言う点は共通なのですが、今回の綾子という女性はキャラクターが違うというか、むしろ「接吻」で小池栄子さんが演じていた遠藤京子が、「愛のまなざしを」では仲村トオルさんが演じた貴志なのではないか。例えば、「接吻」ではもう最初から脱社会的な存在としての豊川悦司演じる坂口秋生がいて、そちらが社会から逸脱してる存在かと思ってみていたら、実は遠藤京子の内面の方がもっと逸脱しているという提示のされ方で。理屈では理解できないような情念とか行動規範を持った人というのが、あっちこっちに普通に住んでいるよというのが提示されていたように感じました。
今回の場合、仲村トオルさんは、これまで万田監督作品の中ではどちらかというと平凡な社会規範の中にいて正論ばかりを口にする、凡庸な故に逸脱した登場人物達の行動に右往左往する若干滑稽な男として登場してきていたと思います。「愛のまなざしを」を拝見しながら仲村さん演じる茂も最初そんなキャラクターなのかなという風に見ていた訳ですが、えっ何、この人が一番狂ってるんだって。良い意味でこちらが文脈を見失うような速くて意外な展開で、万田さんが新たな地平を築かれたなと思いました。

珠実 それは面白いですね。笠智衆が殺人犯になった、みたいな。

万田  なるほどね。いまそんな風に整理してくれて、すごく納得しました。一つは、いま話してくれた中で、キャスティングの問題があったのかなと思います。仲村さんが今回、前と全然違う役をやるので、もしかしたらあれが仲村トオルさんではなくて、別のキャスティングであれば、こいつは狂ってるんじゃないか、おかしいんじゃないか、と気付きだしたときに、すっと入りやすかったかもしれない。なまじ仲村トオルさんが演じているだけに、えっ、今度はこっちが狂っていく話?っていう風に。

珠実 最後まで気づけない。

万田 うん、気づけない人がいるよね。で、結局これは何だったんだろう、っていう人がいっぱいいるよね。

珠実 だから、貴志が愚鈍に見えるのかもしれないですね。あんな分かりやすい嘘つき女に騙されちゃって、嘘も見抜けない間抜けな奴っていう感想もあるので。

――だけど、ただ愚鈍な人っていう訳でもないんですよね。

万田 もう一つは、さっきも言ったテンポの問題だよね。それは演出に関わってくるんだけれど、例えば、貴志が寄りの画で、じーっと何かを見つめているとか、この人何かおかしいですっていう分かりやすいカットがあったりすると、そういう話なんですねって分かるところを、僕が撮っていないということだよね。それで、やっぱり「めまい」の話になるんだけれども、あれジェームス・スチュワートが、相当狂っているよね。実はおかしい奴なんだよね。だけどジェームス・スチュワートがやっているので、これはきっと良い人なんだっていう先入観があるので、そう見ちゃうんだけど、何回も見ていると、やっぱり相当おかしいよ、こいつって見ることができるようになってくる。それに近いってことなのかな。

――多分、こちらの読み取り能力も落ちてきているということかもしれないんですけれども、例えば「接吻」の小池栄子さんだったら、ああいう顔じゃないですか。あの小池さんが目をむいたら、もう一瞬で、まともじゃないって判断できるんですけれど、仲村トオルさんの場合は、好青年のままで大人になったっていう。

万田 小池さんは、思い詰めた感が画面としてもあるし、芝居としてもあるから、この人がこんな風に思い詰めて、おかしくなっていく話だなというのが、映画の最初の方で分かるけど、仲村トオルさんにはそういうところがないから、難しかったということなのかな。

――仲村さんについて、あて書きで脚本を書いたという話も伺っているんですが。

万田 当て書きでしたね。杉野さんから最初映画を撮りたいという話が来たときに、それは仲村さんを使いたいと、それで当て書きをしましたね。

――それで、最初に「義父さんと義母さんには、この家にこのまま住んでもらって良いんですよ」って仲村さんが話すところの演出をしているときに、ああ、この人本当に狂ってるんだって思ったという話を読んだのですが。

万田 そう、リハーサルをしているときにね。だから、僕らの中にも、脚本を書いているときは貴志が狂っているという意識が強烈にはなかった訳だよね、きっと。それがあれば、現場でも、芝居でも、脚本上でもそういうところをもっと出していこうと考えたんだろうけれど。

珠実 最初脚本を書くときに与えられた設定として、嘘つきの人(綾子)というのと同じぐらい、死んだ人に囚われている人(貴志)というのをどう捉えたら良いのか、難しかったんです。ところがテレビであるドキュメンタリーを見ていたら、阪神大震災で両親を失った娘さんが、おばあちゃんに育てられて、結婚もし、出産もし、健気におばあちゃんの前では泣くこともなく、元気で明るくやっていたのに、二度目の出産の時に、狂ったように「お母ちゃん、お父ちゃん会いたいよう」って言っているところが撮られていたんですね。そこからその人の人生が狂いだして。自分でも一旦その気持ちに気づいてしまったら抑えられなくなって、会いたい、でも会うって死ぬことだよね、でも死にたい訳じゃない、ただ会いたいって言っているんです。私はそれを見て、それを間近に聞いている旦那さんとかおばあちゃんとかは、すごく無力感に苛まれているんじゃないかと想像したんですね。本人は、人を困らせたいとはまるで思っていないんだけれども、ただこうなってしまったっていうその人の存在が、周りを狂わせていくっていうか、大きな悲劇を生むということはあるんじゃないかと思ったんです。そういうところから脚本を始めたので、本人が狂っている人っていうことは、最初思っていなかったんですよね。

――なるほど。

万田 それで、あの食卓のシーンをやったときに、仲村さんが淡々と、お義父さんお義母さん、ここ住みたいならどうぞ住んでくださいって演じたときに、周りの人もびっくりして、貴志ってとんでもない人だって。仲村さんだけが気づいてなかったと思う。

珠実 仲村さんは、ホンを読んだときに、おかしな人だとは思ったけれど、ひどい人だとは思わずに、淡々と演じていたとは言っていたよね。ホンがおかしいのに、僕がおかしいことになるのはおかしいって言ってた(笑)。

万田 でも、周りはみんなびっくりして、大笑いしましたね。この人、狂ってる、おかしいって。

――ヒッチコックの「断崖」のケーリー・グラントじゃないですけれど、本当に二枚目なんですけれど、内面はかなり異常なんじゃないか、という感じですよね。「めまい」のジェームズ・スチュワートもそうだったなと。ヒッチコックは国民的スターと言われているハンサムな俳優を、精神異常的な人格として演出してきた。今回は万田さんが、仲村トオルさんを使ってそれを、と思った瞬間からスリリングで、そこからぐいぐい引き込まれました。

――濱口竜介監督との対談で、ああそうなんだと思ったのは、万田さんが、自分が撮りたいのは実はギャグ映画なんだと言っているところで、そう思って見ていると、仲村トオルさんのいまのシーンだとか、最後の方で、電話で茂の告白を聞いているところで、「ああ、そうなんだ」ってあっけらかんと聞いているところとか、見ようによったら笑えちゃうところが、実は万田さんがやりたかったところなのかなと思ったりしたんですが、その辺はどうなんですか?

万田 そこもね、全然そうは思ってなかったのね。僕の基本精神はギャグっていうのは、どの映画でもあって、やっぱりある種やり過ぎると、これ笑えちゃうねっていう、まあ増村保造もね、ブレッソンでもゴダールでも、これは日常ではありえないけど、ここまでやるのか、すごいなって思いつつ、これ笑えるよねっていう、まあそういうとこも含めて基本的にギャグなんだけれど、あそこの電話のシーンは、全然笑わすつもりで撮ってなかったし、お客さんが笑うとも思ってなかったの。それが最初の試写の時に、お客さんが笑ってたって聞いたんだけれど、その時は、一人二人で、何で笑うの?って思ってた。その後フィルメックスで上映した時には、会場でお客さんがドッと笑いましたよっていう話を聞いて、ええーっなんで?って思ったの。それで仲村さんも少し気にしてた。いまは、笑うのも分かるし、見直して、確かにおかしいなって思うんだけれど、撮影の時も、編集の時も、あれを笑うとも思ってなかったし、笑わせようとも思ってなかった。

――濱口監督との対談が結構面白くて、濱口さんのショットの撮り方と、万田さんの撮り方はちょっと違うなということが出てくるところがあって、そう思って見ると万田さんの映画が少し違って見えてくるところもあって面白かったのですが。

万田 そうね。他人にはいろいろ言われているところがあって、濱口君もいろいろ言ってくるんだけれど、僕自身はそこまで意識していないんだよね。よくやっぱり万田の映画だよね、って言われるんだけれど、どこで自分がそうしているのかというのはよく分からなくて、「UNloved」の場合は、意図的にああいう風に撮ろうと思って、万田印を押そうと思ってたんで、あれはそういう意味では分かるんだけれど、「接吻」にしろ今回の「愛のまなざしを」にしろ、自分でも気づかないうちに他人とは違うことをどこかでやっているんだろうな、とは思うのね。自分ではよく分からないんだよ。

――ああ、そうなんですか。

万田 そうなんだよ。意識的にやろうと思ってないの。

――あの、「接吻」の小池栄子さんが、時々、ここで笑っちゃいけないよね、っていうところで笑いますよね。

珠実 結婚して記者に囲まれたときに笑ったところは、あれは意図して笑わせました。ブランコで笑っていたのは、気狂いじみているって言われたけど、あれはそんなつもりじゃなくて、無邪気に戯れているつもりだったのに、あそこが一番怖かったって言う人もいましたね。

――実はさっき「接吻」を見返していたんですけれど、例えば、「手紙とか書かれないんですか」って長谷川(仲村トオル)が聞くところで、「書きました。返事が来ました。私の思っているとおりの人でした」っていうところで、にまーって笑っていて、普通で考えると、自分の好きな人が100%死刑になるということは分かっていて、それが手紙の返事がきたというところで、あんなににまーっと笑っているというのは、普通のテレビのドラマとかで考えるとあり得ない。そういうところに僕なんかはすごく痺れたんですけれど。

珠実 えー、そうなんですか。私、普通だと思ってました(笑)。

万田 うん、俺も普通だと思ってた(笑)。

――でも、死んじゃうんですよね。悲劇じゃなくて、この人にとっては無常の喜びっていうのが、恐ろしいホン(脚本)だなって。

万田 でも、その人にとってそれが無常の喜びだっていうこと自体はおかしいことなのかもしれないんだけれども、無常の喜びなら、人は笑うじゃないですか。

――そうなんです。だから全然素直に受けとめられるんですけども、でも凄まじいな、という。

珠実 そういう極端な言動に、意志の強さだとか、キャラクターの強さだとかが出てくるのかな。その辺は自分で書いてて、意図してないんですが。

――えっ本当ですか。私たちはずーっと万田さんの映画のどこがすごいかという話をしてたんですが。

珠実 そうか、手紙の返事が来て、それで思った通りの人だったら、この人は死刑になって死んじゃうんだって思って悲しくなるんですね。それは気づきませんでした。自分の視野の狭さがよく分かりました。こういうのを一途って言うんですかね(笑)。

――その辺のある種の逸脱っていうか、これまで日本映画の誰も到達しなかった、まあ増村とか溝口がもしかしたら、っていう部分が、ああ万田さんがその高みに行かれたっていう。「愛のまなざしを」では更にその先に、観客がついていけるギリギリの地平に進まれてていて。

珠実 なるほど。勉強になるー(笑)。

――あとは、篠田三郎さんの演じるお兄さんに会いに行ったところで、篠田三郎さんのお芝居も本当に素晴らしいと思ったんですが。

万田 うん、素晴らしかった。

――そう、石鹸の匂いを嗅がせて、ここでこの二人はすごく幸せな関係を結べて、その後に僕は死ななければいけないと思いますって、このアップダウンの激しさがすごい。

珠実 そこは、ちゃんと狙ってましたよ。京子と兄が言っているのとは違う形で、長谷川と、多分見ている観客の方々も、それって普通だったら生い立ちがこうで、トラウマだったりがあって、いまこうなっちゃってって考えるだろうなと。動機だとかトラウマだとか、そこが違ったら殺人は犯さなかったのかどうか、本当はわからないじゃないですか。いま世の中に流布されている分かりやすさに違和感があるので、こういう展開にしようっていう意図はあったんですよね。

万田 石鹸のシーンは、京子がすっかり安心して坂口の目の前ですやすやと眠ってしまう、ところが、それを見て坂口が自分がやったことがいかに残酷だったかということを反省しだす、そのきっかけのシーンですね。それがきっかけとなって、坂口が長谷川に対して心を開くっていう。坂口が心変わりするところですね。

珠実 ただ、それも一瞬しか写さないじゃないですか。

――そうなんです、それも一瞬なんですよね。

万田 だから、いまの説明どおりに分かりやすく、坂口の寄りの画があって、坂口がじーっと京子を見ています、見られている京子の寄りもあります、そして京子が顔をあげてニコッと笑います、すると坂口もちょっと気まずく笑いますとかね(笑)。そうすると、あっ、ここで京子はすごく幸せだな、でも坂口は心変わりしたな、って。でもそれは撮りませんっていう。

――いや、そうした説明的なシーンを撮らないのが本当に素晴らしいと思います。

珠実 「愛のまなざしを」でも似たようなことがあるんですよ。綾子役の杉野さんに、「綾子が幸せだったのって、一回だけだったんですよー」って言われたんです。あったっけ、そんなのって思ったんですけど(笑)。それが、貴志が義理の両親に「住んでいいですよ」って言ったあと、息子に「出てけ」って罵声を浴びせられながらトンネルを歩いて帰ってきていて、貴志はもう気持ちが暗くなっているんですけど、待っている綾子は、「お帰りなさーい。向こうに泊まってくるかと思った」。なのに、私のところに帰ってきてくれたのねって、あそこは満面の笑みで迎えるんですよ。その時、貴志はすでに落ち込んでいるから、本当に「お帰りなさーい」って言ったあの一瞬だけ綾子は幸せだったって、杉野さんは言ったんです。そんなの、見ている人には分かるわけがないですよね。

――みんな狂っちゃってるから、狂っちゃってる人が幸せかどうかなんて考えないですよね。

珠実 でも綾子にもそういう幸せな時間は、一瞬でもあったんですよ。ホンには書かれてなくても、演じる女優さんはそういう普通の感情を大事にしたいものなんじゃないですか。「接吻」の小池さんも、理解できないと言いながらも京子にそういう感情を吹き込んでくれたから、京子に生身の人間の存在感が生まれたんだと思いますし。綾子に関しても、ホンや演出する側にもっとそういう意識があれば、「あー、綾子ってかわいそうだね」っていうふうに、見た人に思ってもらえたのかもしれないですね。

万田 でも、そういう幸せな時間は、もともと脚本にあんまり書かないよね。「Unloved」の時の、仲村トオルさんと森口瑤子さんの間にも全然ないよね。

珠実 確かに、ないね。それは、二人は別れると思ってたから(笑)。

万田 でもその後の松岡俊介君のところも、自転車押してるところぐらい……。

珠実 あと、ベッドシーンがあったから。

万田 そうか、そこは幸せな時間か。

――でも、その後で「働かなくて良いのよ」みたいなことを森口さんが言って、あれも強烈でしたよね。なんでお金なんかいるの?みたいなこと言って。雷に打たれたような衝撃を受けました。

珠実 光子は、自分はそれで幸せだったのね。

――お金なんかいらないじゃん。コンビニのおにぎりでいいじゃん、みたいな。そう考えると本当に、これ早かったと思うんですよね。いまこういう主題の映画はいっぱい出てきていると思うんですけれど、時代が20年早かった。豊川悦司さんが演じている脱社会的な人物とか、どんどん映画でも現実でも沢山出てきているじゃないですか、だから本当に早い段階で提示されていたと思うんです。予言的なというか、その予言的な早さに、私たちは痺れていました。
今回、もともと学生時代に万田さんの8ミリ映画を見ていた頃のことを思い出して、そこでギャグ映画という言葉に触発されながら2回目を見たんですが、そこでさっきから出ている万田さんの、タダじゃすまないところを織り込んでいくスタイルがこの『愛のまなざしを』にも出ていて、2回見るとさらに膨らみが感じられて、見終わった時に豊かになれた感覚があったので良かったなと思いました。

万田 でも、普通面白いと思ってもなかなか2回は見ないし、面白いと思わなかったら絶対2回は見ないからね。そこは難しいよね。で、じゃあ1回で分かるように撮ればいいじゃんという話なんだけれど、別に1回で分からないように撮ってるつもりでもなくて。でも、確かに僕自身も、「UNloved」も「接吻」も時間をおいて見直すと、あ、これ面白いなあって思うよね。だから僕の映画にはそういうところがあるのかな。僕に限らず、映画って二度三度と見直すと、これまで見えてなかったところが見えてくるんだけれどね。僕は1回で分かる映画がなかなか撮れないのかなあ。

珠実 じゃあ、もう配信を目指したほうが良いんじゃない。配信なら、いつでも見直せるし。

万田 映画のありようがもう完全に変わりましたね。もともと変わりかけていたところに、コロナがあって。

――「愛のまなざしを」は、海外で上映の予定などはないですか。

万田 いまはまだないですね。

――私は、「接吻」が全州国際映画祭のオープニングにかけられた時にたまたまその場にいたんですが、映画に対する理解度の足りない日本より、韓国とかアジアに向けて発信していくことを考えたほうが、自分もそういうことに関わっているので、良いのではないかなということを思いますね。

万田 わかってもらえるなら、日本でも海外でも、嬉しいです。

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「愛のまなざしを」


「愛のまなざしを」

監督:万田邦敏
脚本:万田邦敏/万田珠実
出演:仲村トオル/杉野希妃
2020年/102分/日本
配給:イオンエンターテイメント、朝日新聞社、和エンタテインメント

11月25日、DVD発売
発売:ライツキューブ
販売:ライツキューブ
定価:3,360円(税込)

                                                                                                                               

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