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1秒先の彼女

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相田冬二


ワンテンポ速く生きることと、時間を喪失すること

ワンテンポ遅れるひとは、これまでも、多くの映画がスポットライトを当ててきた。

いいじゃないか、自分のペースで歩いていけば、あなたらしくあることがいちばんなんだと、地球にも人間にも優しい、そんな素振りは、ありふれている。

正直、もう飽きた。
だが、ここで見つめられるのは、ワンテンポ速く進んでしまうひとだ。

そんなに急いでどこへ行く、と、ワンテンポ遅れるのを善とする、地球にも人間にも優しい【環境保護主義】的な映画が、まず、糾弾しがちな存在を、本作は、メインキャラクターに据える。

新しい。
彼女は、別に急いでいるわけではない。

他人に先んじて、なにかをしようとする野心の発露として、そのような行動があるわけではない。

身体的に、生理的に、運命的に、宿命的に、ワンテンポ速く動いているし、生きているのだ。

せっかちなわけでも、慌てん坊なわけでもない。
性格の問題ではなく、具体的に、リアルに、ワンテンポ速いのだ。
つまり、個体差。

個体差を認めようぜ、という動きは近年、ようやく出てきた。
歩くのが速いひとや、食べるのが速いひとはいる。それのどこが悪いの?

他人に歩調をあわせろだの、消化に悪いだの、余計なお世話だよ。
まあ、わたしは、子供のころから食べるのが遅いし、歩くのもゆっくりのノロマなのだが、だからこそ、思うね。

映画は、これまで、【速いひと】を擁護してこなかったと。
【速いひと】を温かく見つめてこなかった、【速いひと】の情感を掬いあげることを疎かにしてきた、【遅いひと】をエコ贔屓してきた、それはおかしいと。

ワンテンポ速く生きてきた女性の郵便局員が、スポーティなプレイボーイにナンパされ、遅れてきた初恋を迎える。

しかし、約束のバレンタインデーが、なぜか消失。

記憶喪失?
酩酊? 

とにかく、時間が行方不明になるのだ。

ワンテンポ速く生きることと、時間を喪失すること。
この相関関係について少し考えれば、この映画が、ファンタジーの枠組みの中で、いかに本質的な問いをしようとしているか、想像がつくのではないだろうか。

だが、「1秒先の彼女」という秀逸な邦題を擁する台湾映画の斬新さは、そこに留まらない。

後半では、ワンテンポ遅れる男性という、従来の映画によく登場する、めずらしくもなんともない【凡庸】なキャラクターが、彼女からのバトンを受け取る。

つまり、二部構成。
しかし、ありがちな人物を語り部にすることで、作劇はさらに急カーブを曲がりながら、爆走していくことになる。

ワンテンポ速い女性をゆったり描き、ワンテンポ遅れる男性で急展開を見せる。

こうした、時間差のマリアージュこそ、映画の可能性なのではないか? 
終わったときの余韻は、SFやラブストーリーのそれではなく、もっと地道で、親近感のある感触。

たとえば、夕暮れの駄菓子屋にも似た風情。
懐かしくて、新しい。
これは、そんな映画だ。


1秒先の彼女

監督・脚本:チェン・ユーシュン
出演:リー・ペイユー/リウ・グァンティン
2020年製作/119分/台湾
原題:消失的情人節 英題:My Missing Valentine

配給:ビターズ・エンド

6月25日(金)新宿ピカデリー ほか全国ロードショー


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