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星くずの片隅で

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夏目深雪


香港映画の魔法が
消えたあとで

「星くずの片隅で」は、清掃会社の経営者とシングルマザーが主人公の香港映画である。

香港映画と言えば、昨年の夏からリバイバル上映され大ヒットしたウォン・カーウァイの名前が浮かぶ人が多いだろう。

90年代から2000年代にかけて世界中にブームを巻き起こし、数多の後継者が生まれたカーウァイ映画。

その特徴はスタイリッシュな映像美に切り取られた雑然としたエネルギーに満ちた香港の街角、カラフルな服やチャイナドレスを纏った、スターが演じる浮遊するような無国籍な美男美女といったところであろう。

アンジェラ・ユンというトップモデルがヒロイン、キャンディを演じ、清掃人にはあまり相応しくないような派手な服装をするところに、唯一残り香が感じられるが、「星くずの片隅で」にはほとんどカーウァイ映画、またはそこに描かれた香港を感じさせるところはない。

街角にはコロナ禍のせいで人はいず、清掃会社を経営するザクもシングルマザーのキャンディも貧困と隣り合わせの市井の人々だ。

往年の香港映画の巨大なイメージはあと2つあるだろう。

ジャッキー・チェンを嚆矢としたアクション映画、そしてジョニー・トーを筆頭にした香港ノワールである。

「インファナル・アフェア」(03)などの香港ノワールにて、常に暴力に満ちた男たちの世界を体現してきたアンソニー・ウォンが、車椅子の障害者を演じた「淪落の人」(18)には、だからとても驚かされた。

この作品は、半身不随となり人生に絶望した中年男性チョンウィンと、彼の身の回りの世話をするために雇われたフィリピン人移民女性エブリンの心の交流を描いている。

チョンウィンはカメラマンというエブリンのあきらめかけていた夢を手助けする。

決して華々しいところを歩いているわけではない2人が寄り添う、感動的な物語である。

香港が中国に返還されたのは1997年。
20年後の2017年に中国政府は、「返還後50年の香港の高度な自治」を明記した1984年に中英共同声明について「無効」との見解を示した。2019年に大規模な反政府デモが起こり、2020年にはコロナ禍に見舞われた。

香港映画の凋落と中国政府によって自由が奪われていく香港の状況は勿論リンクしているだろう。

刹那的な恋愛や男たちの絆が画面に火花のように散るような香港映画の黄金時代が去ったあと、日々の暮らしにも困るような人々が寄り添い、支え合う物語が傑作として誕生している。

そこには胸がときめくような恋愛もないし、大円団のハッピーエンドもない。

ザクはキャンディがしでかしたことによって自分の会社を畳まざるを得なくなり、自由を失う。

だが、ラストシーン、警備の仕事に就いた彼が、吐瀉物がそのままにしてあるのを見て、必要ないのについ掃除を始めてしまう。

自由を失った香港人のことをつい想像してしまいました、と言った私に、あなたの解釈は正しい、と監督が答えた時、つい涙がこみあげそうになった。

映画とは非日常だからこそ美しいのだ、と言わんばかりにスローモーションを多用した香港映画が、日常の人々の心の触れ合い――しかも恋愛ですらない――を描き出したのは、その日常すら失われかけたからではないかと思い当たったからだ。

例え特別な関係にならなくても、思い続け、助け合う。

それは抵抗として座り込みのデモをし続けた香港の人々が身をもって体験したかけがえのない関係だったのだろう。

黄金時代の香港とはまた違う形の魔法が息づいている115分。

まだ始まったばかりのその小川のようなせせらぎが、どこに行き着くのかしっかりと見届けたい。


「星くずの片隅で」

監督:ラム・サム
出演:ルイス・チョン/アンジェラ・ユン
2022年製作/115分/香港
原題:窄路微塵 The Narrow Road
配給:Cinema Drifters、大福、ポレポレ東中野

7月14日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ポレポレ東中野ほか全国ロードショー


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