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「シティ・オブ・ウインド」

review

第19回大阪アジアン映画祭
備忘録

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月永理絵


グランプリ作品から
エドワード・ヤン脚本作品まで

「シティ・オブ・ウインド」(ラグワドォラム・プレブオチル監督/フランス、モンゴル、ポルトガル、オランダ、ドイツ、カタール/2023年)

第19回大阪アジアン映画祭2024でグランプリを獲得した「シティ・オブ・ウインド」(写真)は、モンゴルの若きシャーマンである17歳の少年が、自我をめぐり揺れ動く様を描いた青春映画。幼い頃から不思議な能力を持っていたゼは、普段は高校に通いながら、人々の悩みを聞き先祖の言葉を伝えるシャーマンとしての活動も行っている。だが、ある日祈祷に呼ばれていった先で心臓病を患う少女マララーに出会ったゼは、「シャーマンなんて詐欺師と一緒」と毒づく彼女に心を奪われる。

シャーマンの少年というキャラクターこそ特異だが、話自体はオーソドックスな成長物語。古くからこの地に伝わる文化や慣習を大事にしながら暮らしてきた優等生の少年は、初めての恋に夢中になり、それまで知らなかったクラブでの夜遊びや性体験を通して新たな自分を知る。だがその結果、学業はおろそかになり、大地からの声も聞こえなくなってしまう。

上映後の監督トークによれば、映画の舞台となったモンゴルの首都ウランバートルでは、中心部に近代的な高層建築物が次々につくられる一方で、郊外には遊牧用の移動式住居ゲルが多く残り、経済的格差や文化の違いが深刻化しているという。監督は、自分は今や忘れ去られつつあるゲル地区の生活を描きたかったが、貧困や暴力にまみれた生活というステレオタイプな描写にはしたくなかったと語っていた。そうではなく、ここで生きる人々の姿をそのままに映したかったのだと。

実際、このいかにも典型的な少年の物語は、クリシェの罠を巧みにすり抜けていく。郊外のゲル地区で育ったゼは、子供の頃から古い伝統や習慣とともに生きてきたが、将来は高層マンションで裕福な生活を送ることを夢見ている。一方シャーマニズムを否定し、現代的な生活を送るマララーは、将来は都会ではなく自然に満ちた田舎で暮らしたいと夢を語る。また、冷めた目で世間を見つめながら、韓国で暮らす父と、モンゴルに残った母との関係に悩んでもいる。

都市部と郊外。伝統と近代化。留まることと旅立つこと。二つの対照的なものの間で揺れ動くように見えながら、この映画が目指すのは、必ずしもどちらか一方を選ぶことにはない。いったい自分は何者なのか、本当の望みは何なのかを自らに問いかけ、いつしか見えてくるもの、聞こえてくる声を、ただまっすぐに受け止めようとする。その潔さに心打たれる。同時に、ここに登場する人々すべての顔がどれも魅力的なことに驚かされた。ゼやマララーをはじめ、彼らの家族やクラスメイト、そのすべての表情が瑞々しく美しい。

「サリー」(リエン・ジエンホン監督/台湾、フランス/2023年)

「来るべき才能賞」「ABCテレビ大賞」をW受賞した「サリー」。台湾の山間部で養鶏農家を営む女性フイジュンは、長年弟の母親代わりを務めてきたが、最近は叔母から結婚をせっつかれうんざり気味。そんななか、姪に勧められ出会い系アプリに登録した彼女は、パリで画廊を営むマーティンという男に求愛される。最初は遊び半分に返信していたものの、甘い言葉にどんどんのめり込み、ついに彼に会いに行こうと決意する。

台湾でも近年社会問題化している国際ロマンス詐欺を題材にした本作は、40代の独身女性の出会い系アプリをめぐる騒動とその顛末を描いたコメディ。ただし、彼女を笑い物にしたり、哀れな女性としては扱わない。あくまでもひとりの女性の自分探しの物語として、彼女が悩み、右往左往する姿をていねいに描く。何より嬉しいのは、年を重ねた女性の欲望のありかたを、さまざまな角度から見せてくれること。誰かに肯定されたい。非日常を楽しみたい。そんなささいな願望から、魅力的な肉体に触れ、自分も触れられたいという性的な欲望まで、包み隠さず見せてくれる。

紋切り型の笑いやご都合主義的な展開はあるものの、フイジョンが欲望を解放し、自分なりの幸福を追求していく姿は実に清々しい。これが初長編となるリエン・ジエンホン監督は、現代女性の抱える葛藤を真摯に扱いながら、ウェルメイドな喜劇作品を、見事につくりあげた。

「ブラックバード、ブラックバード、ブラックベリー」(エレーヌ・ナヴェリアーニ監督/ジョージア、スイス/2023年)

「サリー」とはまったく異なるスタイルで40代女性の欲望を描いたのは、ジョージアを舞台にした「ブラックバード、ブラックバード、ブラックベリー」。小さな村で家庭用品店を営む48歳の女性エテロは、ある日ブラックベリーを摘みにいった山で、空飛ぶ黒ツグミに見惚れるうちあやうく崖から転落しかける。もしあそこで死んでいたら、と自分のこれまでを振り返ったエテロは、何かに目覚めかのように既婚の配達人ムルマンを誘惑し、人生初のセックスを経験する。

ムルマンとの即物的なセックスを終えたあと、エテロは自身の過去や村人たちとの関係性を見直し始める。彼女は、幼い頃に母を亡くして以来、横暴な父と兄に奴隷のようにこきつかわれてきた。誰かと恋愛をする余裕もなく、ブラックベリーを摘みにいくのが唯一の趣味。そんなエテロを、年上の隣人女性たちは馬鹿にし嘲笑する。だが、年嵩の村人たちがエテロを軽んじる一方で、移民と思われる若い女性や町で用品店を営むレズビアンカップルなど、社会の縁に追いやられがちな女性たちは、エテロに好意的な眼差しを向ける。こうして、エテロがどんなふうにここで生きてきたか、その抑圧的な生活のなかでどう誇りを保ってきたかが見えてくる。

ムルマンとの関係は徐々に深まり、エテロは心身ともに大きな変化を遂げていく。孤独な中年女性が男性との性体験を経て自己を解放する物語は、いささか古臭くも感じられる。だが、ノンバイナリーを公言するエレーヌ・ナヴェリアーニ監督は、性の目覚めとしてというよりも、エテロが自らの肉体を発見するきっかけとしてセックスを扱っているように思う。贅肉をたっぷりとそなえ、徐々に重力に逆らえなくなった肉体が絡み合い、融合する。自分の体を愛し、他人の体を慈しむことで、彼女は世界を再発見するのだ。

「1905年の冬」(ユー・ウェイチュン監督/香港/1981年)

日露戦争末期から辛亥革命が始まるまでの激動の時代を背景に、上海から日本へと留学した芸術家青年の苦悩を描いた「1905年の冬」は、エドワード・ヤンが初めて脚本を手がけ、俳優として出演した映画で、日本はもちろん台湾でも長らく見る機会のなかった貴重な作品。監督のユー・ウェイチュン(余為政)は香港出身の監督で、本作を監督後は、主にアニメーターとして活躍している。監督の弟で、本作の製作を務めたユー・ウェイエン(余為彦)は、「牯嶺街少年殺人事件」(91)以来エドワード・ヤンの映画のプロデューサーとして活躍した人。もともとアメリカに留学していた兄のユー・ウェイチュンがエドワード・ヤンと知り合い、その紹介でユー・ウェイエンとヤンとの交流が始まったという。

本作の撮影は、1981年の2月から3月にかけて日本で行われた。映画祭で来日した監督の言葉によれば、脚本は主に監督自身が手がけ、エドワード・ヤンはそこにいろいろなアイディアを提案し加えていったという。なかでもヤンのアイディアが生かされたのは、主人公の同胞の友人で、清朝打倒を掲げる革命家青年のキャラクター。その後香港を代表する監督となったツイ・ハーク演じるこの革命家は、劇中でもっとも強いインパクトを放つ人物だ。

実在した芸術家の李叔同(弘一)をモデルにしたこの低予算映画を、後のエドワード・ヤン映画につながる作品、と断言するのは難しい。だが物語をよくよく眺めれば、本作から十年後に生まれる「牯嶺街少年殺人事件」(91)の予兆がたしかに感じられる。「芸術のための芸術」を純粋に求め政治から距離を置こうとする主人公は、社会とのつながりなしで人は生きられないと説く革命家の友人と深い友情を育みながら、やがてその道を分かつ。同様に、彼は日本人女性と熱烈に愛し合うも、自らの見栄と臆病さゆえにその愛を失う。深いつながりをもったと思った瞬間、その関係はいともたやすく壊れてしまう。その冷酷で脆弱な世界のありかたは、「牯嶺街少年殺人事件」をはじめ、エドワード・ヤンがくりかえし描いてきたものではなかったか。

「1905年の冬」は、今や世界的に有名な録音技師となったドゥ・ドゥージ(杜篤之)が、初めてサウンドデザイナーとして関わった作品でもある。彼はその後(TV映画「浮草」(81)や)オムニバス映画「光陰的故事」(82)でエドワード・ヤン作品の録音・音響を手がけ、ヤンやホウ・シャオシェン(侯孝賢)ら、台湾ニューシネマの監督たちにとって欠かせない人物となる。

ちなみに、エドワード・ヤンの出演場面はほんの数分程度。主人公の下宿先の女性のもとに、愛する息子の戦死を知らせにくる軍人役で、頭にぐるぐると包帯を巻いた長身の男が骨壷を抱える姿は、あたかも死神のよう。そういえば、「ヤンヤン 夏の想い出」(91)にも出演した脚本家・映画監督のウー・ニェンツェン(呉念真)は、実際に知り合うまえに、この映画のなかで初めて彼の顔を知ったと、2023年の台北でのエドワード・ヤン展公式カタログ内のインタビューで語っている。死の気配をまとった包帯姿の顔がエドワード・ヤンの第一印象だったというのは、なんとも興味深い。


第19回大阪アジアン映画祭


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