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賀来タクト
日常の「どうということのない時間」
まるで日本の高級住宅地で撮られた作品のように映る題名。しかし、その実体は「自由が丘8丁目」という店名を持つ韓国のカフェをめぐるコミカル日常ドラマ。12年、「3人のアンヌ」(12)のプローモーションのため来日したホン・サンスが、加瀬亮と対談取材で意気投合。その加瀬を主演に誘って、韓国で撮り上げた英語劇。日本語ゆかりのカフェが登場するのも、そういった背景によるものと考えられる。
物語は、その加瀬亮演じる日本人男性モリがかつての恋人クォン(ヨ・ソンファ)を訪ねて来韓するところから始まる。だが、クォンは留守で行方も知れなかった。近所のゲストハウスに逗留することにしたモリは、クォンの帰りを待つ間、ゲストハウスを訪れる面々と交流し、カフェ「自由が丘」では女性店員ヨンソン(ムン・ソリ)と懇意になっていく。
モリは留守中の出来事を全てクォン宛ての手紙に書いていた。映画は、それを読むクォンの視点を「現在」とする回想形式をとっているのだが、クォンがうっかり手紙を落とし、読む順序がバラバラになってしまったという「仕掛け」がミソ。結果、時系列が前後バラバラになって物語が進む展開となっており、たとえば、カフェからいなくなったヨンソンの犬をモリが見つける前に、見つかった後のエピソードを先に描くという調子。例によって心地よい混乱の中に見る者を誘い込みつつ、グズグズした状況を明るく軽妙にスケッチすることで、どこまでもポップで涼しい後味に昇華させている。67分という手頃な尺の中、この演出家ならではの構成への凝った遊び心、こだわりに加え、日常の「どうということのない時間」をセットで気軽かつ新鮮味豊かに楽しむことができる好編。
加瀬によれば、撮影自体は物語の時系列順に進められ、日々、当日渡された台本で英語セリフを30分ほどで覚えてからカメラの前に立ったとのこと。ホン・サンスのフィルモグラフィ上では、現在のミューズ、キム・ミニと出会う「正しい日 間違えた日」(15)の直前の仕事であり、ホン・サンス作品に馴染みのない観客には「ミナリ」(20)で米アカデミー賞の助演女優賞に輝いたベテラン女優ユン・ヨジョン出演作品として楽しめるだろう。ここでのユン・ヨジョンはゲストハウスの女主人役。ホン・サンス作品では、ほかに「3人のアンヌ」「正しい日 間違えた日」にも顔を出している。
「自由が丘で」
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:加瀬亮/ムン・ソリ/ソ・ヨンファ
2014年/67分/韓国
英題:Hill of Freedom
協力:ビターズ・エンド
11月1日(土)よりユーロスペースにてロードショー
*ホン・サンス監督のデビュー30周年を記念し、新作5本を5か月連続で公開する「月刊ホン・サンス」の開催が決定。同時に旧作5本を上映する「別冊ホン・サンス」がスタート。その第1弾が「自由が丘で」となる。
暉峻創三による「ホン・サンスはどこへ行く?」論
「ホン・サンスが撮った映画」論
「ホン・サンスが描く旅と街」論
40ページに及ぶ“ホン・サンスの世界”を掲載。
定価:2,420円(税込)
発行:A PEOPLE
ユーロスペース、Amazonほか一部書店にて発売中