photo:森本將揮/川野結季歌/星川洋助
text 小林淳一
「ションベン・ライダー 4Kレストア版」永瀬正敏、
「風花 4Kレストア版」小泉今日子、浅野忠信、
相米慎二を大いに語る
9月27日より「相米4K ふたつの創造 ふたつの感性」のタイトルの元、「ションベン・ライダー4Kレストア版」「風花 4Kレストア版」がユーロスペースにて公開。公開を記念したトーク・ライブが行われた。9月27日(土)、「ションベン・ライダー」から永瀬正敏。9月28日(日)「風花」から小泉今日子、9月30日(火)、同じく「風花」から浅野忠信が登壇。4Kになった出演作と、監督・相米慎二について、大いに語ってくれた。
――「ションベン・ライダー」には幻の4時間版が存在していたという話があります。今回、このタイミングで発刊した書籍「相米慎二 ふたつの創造 ふたつの感性」(A PEOPLE:刊)では、その全長版のシナリオを採録しました。本作のチーフ助監督だった榎戸(耕史)さんは4時間版のオール・ラッシュは1回しかやっていないと言います。永瀬さんもごらんになったんですよね。
永瀬正敏 観ました。まず自分の声ってこんな声だったのかというのが、最初ですね。自分の顔がドーンと出てくるし、恥ずかしさが先に来ると言うか。いろいろ細かいところが気になってるはずが、それを途中から全く忘れて、 何て言うんでしょう、ちょっと感動でしたね。凄いなって。映画って本当に凄い力を持っているんだなというふうに思いました。昨日、「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」の舞台挨拶があって、オダギリ(ジョー)君や池松(壮亮)君もいて、「ションベン・ライダー」に4時間版があったという話をすると、「観たい観たい。観られないのですか?」って盛り上がるんです。いろんな説があって、観られないとは聞いています。その真相が、その本に書かれているんですね。
――書籍「相米慎二 ふたつの創造 ふたつの感性」では榎戸耕史さんのインタビューが掲載されていて、4時間版が観られなくなった真相が書かれています。永瀬さんもぜひ、読んでください。
「ションベン・ライダー」と言えば、勝手に“三大シーン”というのを言っていまして、それをひとつずつ語っていただいてよろしいですかね。まずは、永瀬ファンならご存じの“コンプラ無視、ジョジョの自転車からのトラックへの飛び乗り!”です。これも掲載シナリオと比べていただくとわかるのですが、全然違うんです。ちょっとこのシーンを読みます。「トラック、信号待ちで停車。(中略)ジョジョ、自転車を道路脇に乗り捨て、トラックの荷台に、飛び乗る。トラック、発車――」とあります」
永瀬 え、それだけですか?
――それだけです。つまり、トラックは止まっていて、それにジョジョが自転車を止めて乗るだけ。しかし、実際は走るトラックに自転車から飛び乗っています。
永瀬 乗った後、「ふられてBANAZAI」を歌うくだりもないんですね。
――書いてありません。
永瀬 一回失敗しちゃって、リハーサルはうまくいっていたんですけど、本番は車が急に40キロ60キロ出しちゃうので。リハーサルは、ゆっくり走ってくれていたんで、うまくいけてたんです。本番で、もう必死に追っかけて乗ったとき、後輪に僕の足が絡まって、そのまま投げ出されたんですよね。自転車がぐちゃぐちゃになっちゃって。でも、映画のスタッフってすごいなと思ったんですけど、すぐ2時間、3時間後には自転車直しちゃって。やらざるを得ない状態になって。で、やり直したら、うまくいったんですよ。うまくやったって言ってますが、ちょっと間が空いたんですよね。本当は飛び乗ってすぐ「ふられてBANZAI」の「♪BANNZAI」と歌い始めなきゃいけなかったんですけど。でも、これはさすがに、監督も褒めてくれるだろうと思って、意気揚々と監督の顔を見たら「遅いんだよな」って言われて(笑)。確かに遅いんですよね。それで「ふられてBANZAI」のところはカットされていますからね(笑)。そういう思い出があります。
――“三大シーン”。次は、“伝説の長回し、7分を超えるワンシーン・ワン・カットのファーストシーン”です。撮影初日だったという話もあります。ここに照明の熊谷(秀夫)さんや美術の横尾(嘉良)さん、装飾の小池(直実)さんなど、「セーラー服と機関銃」からの名だたる相米組と初接触されています。たむら(まさき)さんと伊藤(昭裕)さんが2カメで入っている状況で、そもそも2カメというのも映画的には珍しいと思うんですね。
永瀬 どういうふうにやろうなんて全然わからなかったですけど、ただひたすら走って泳いで着替えて、また走ってっていうトップシーンだったので。経験値が全くないですからね。ゼロです。お芝居の訓練を受けたことがないし、 何もなかったですから、こういうもんだと思ってやっていました。これが普通なんだと。それが映画なんだろうと。
――私の取材では、このファーストシーンは3日間撮られていて、これは本作のチーフ助監督の榎戸さんに取材したときに聞いたんですけど、2日目に校庭のやぐらの下に薬師丸ひろ子さんが陣中見舞いで来ていた、と。これは本当ですか。
永瀬 いらっしゃいました。めちゃくちゃ可愛かったです。半端じゃなく可愛かったですよ。でもね、ちょっと、なんていうんですかね。当時、反骨心じゃないけど、ちょっとやんちゃなところがまだ何か残っていたので、本当はめちゃめちゃ(薬師丸さんを)見たかったりとか、お話したかったりとかしたんですけど、結構クールを装っていました(笑)。クールを装って、ただ心臓はバクバクして、こんな可愛い方がいらっしゃるんだと。(薬師丸さんに気づいて)相米さんの顔が変わったことに、ちょっとムッとしましたけどね(笑)。 え? みたいな。「ひろ子~」なんて言っちゃって。何なの? 俺のこと、名前で呼んでくれることないじゃんって(笑)。でも本当可愛らしかったです。
――そして、“三大シーン”最後は“貯木場の追っかけあい”です。これは4K版だと奥行きがあって背景までよく見えます。装飾の小池さんに取材したときに、このシーンで勝手に神官を奥の方で歩かせている、と。小池さんは「よく榎戸さんとかと勝手にいろいろ入れていた」と話されています。DVDで観てもわからないような。そういう楽しみが今回の4K版にはあります。貯木場のシーンはいかがですか?
永瀬 とにかく無我夢中ですよね。映ってないかもしれないのに。声だけ「わーっ」とか「止めてー」とか聞こえてきたりとかして。とにかく足場が滑るんです。演者が走っているとどんどんどんどん落っこちちゃって、大変だったなっていう思いがあります。多分、僕の記憶が間違ってなければ、ロッキーさん。木之元亮さんですね。木之元さん、泳げなくて。でも、川に飛び込むという、そういう場面ですよね。「仮面ライダー」のように「トー」と。気合いを入れて、飛び込まれる(笑)。でも、みんな、よく、やりましたね。河合(美智子)さんとか、溺れかけたっていうか、服が引っかかっちゃってたいへんだったり。原(日出子)さんも落っこちちゃって。
――相米さんはどんな人でしたか?
永瀬 「ションベン・ライダー」のこともいろいろ思い出す機会があって、なんか“相米さんは常に前か後ろにいてくれたな”っていうのを思い出しましたね。 なんか言われるときも聞きに行っても、ちゃんとここにいて、こう話をしてくれる。
――横じゃない?
永瀬 「こういうことじゃない。こういうことじゃない」って。「ここでこう、それでなんだ?」「それはお前がやるんじゃねえか。やってるお前が一番知っているはずだろう」みたいなコメントを面と向かって ちゃんと言ってくれる。そういう人だったなと思って。相米監督の関東圏内で撮影していた新作の現場には、必ず陣中見舞いに一日は行ってたんですけど、そのとき僕は「肩を揉めって」言われて揉みながら、後ろでいろいろなお話を聞いていました。常に近くにいてくれたっていうのが、ありましたね。
――最後に、今回、42年ぶりに公開された「ションベン・ライダー 4Kレストア版」公開初日に立ち会った感想はいかがですか。
永瀬:相米さんの話をするのはこうなんか、やばいですね。個人として居酒屋で話をしている分にはいいんですけど、壇上に上がって相米さんの話をすると、何かこうぐっとくるものがあって、ちょっとだめだなって思いますね。僕がこうやってここに立たせてもらっているのも、スクリーンの中で生きていけているのも、相米さんがいてくれたからだと思います。その相米さんの作品をこうやってまた観ていただけるっていうのは、僕にとっては本当に特別なことです。明日も明後日も明々後日も、「風花」と「ションベン・ライダー」をやっていますし、ぜひ劇場に来てくれればいいなと思います。どうしても(相米さんが)いなくなった感じがまだないので。僕はずっと永遠に追っかけてる人なので、ぜひ皆さんもスクリーンの中の世界を追っかけ続けていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
――今回、「風花」が4K化されると聞かれていかがでしたか。
小泉今日子 私、よくわからない。4Kとかがどうなのかとか、あんまり興味がないジャンルです。ただ、相米さんの作品が未来まで残るという可能性のはじまりなのだったらすごく嬉しい。そもそも自分の映画をあんまり観ないんです。
――書籍「相米慎二 ふたつの創造 ふたつの感性」(A PEOPLE:刊)では、当時のチーフ助監督だった高橋正弥さんに取材しています。「風花」の4Kの監修をされているんですが、小泉さん演じるゆり子のムートンコートの朱色の発色が4K化されたことでとてもよくなっていると話されています。
小泉 すこし観たくなってきました(笑)。
――「風花」の衣裳担当は小川久美子さんです。いま大ヒット中の「国宝」の衣裳も小川さんです。彼女は相米監督作品13本中、9本の衣裳を担当されています。衣裳の決定にはどのようなプロセスがあったのですか。
小泉 小川さんが最初にデザイン画みたいなものを描いてきたときに、朱色のコートみたいなのを描いてこられて。ムートンっぽい布とか、「めっちゃいいじゃん」と思って。小川さんがイメージで描いてきたんだけど、実際にはそれをなかなか見つけられなかったんです。いろいろなコートを持ってくるんだけど、私も相米さんも、「いや違う」みたいになって。小川さんも「せっかく描いたけどないんだもん」みたいな、泣きそうな気分になっていたときに、どこかの街のおばさんが入りそうなブティックにふって入ったらあったんですって。自分が書いたのと同じようなものが。普通の街の洋品店みたいなところで見つけたわけです。小川さんが「あった!」って、泣いていました。
――はじめての相米慎二の映画の現場とは?
小泉 相米さんがおっしゃる言葉が“なぞなぞ”みたいで。あまり直接的な表現で要求をしない。相米さんは特に、引っ掛け問題みたいな感じの“なぞなぞ”感があって。でもそれを勝手にこちらでその答えを見つけて。答えは言わないんですけど、私も。なんかそういう、なんだろうな、独特のコミュニケーションの楽しみみたいなのは感じていたかなと思うんです。こうしてああしてっていうんじゃないんですよね。リハーサルをするんですけれど、何かの都合でちょっと空き時間があったりして。そういうときに喋っていると、相米さんが昔話のような話をしてくれて。「ああ、へえ」って聞いているんですけど。撮影が始まって、その役の気持ちになったときに、「あ、このためにあの人言っていたんだ」とか、そういうことが結構ありましたね。
――個別のシーンでは、あの踊りのシーンがやっぱり皆さん印象に残ると思うんですけど。あのシーンはどういうふうにあの表現にたどり着かれたのか。
小泉 台本にも書いてなかった気がします。映画が始まる前に割と時間をかけて、いろんな取材に監督と一緒に行ったりとか。また、浅野さんは浅野さんでやっていて、私は私でやっていて。風俗嬢的な役だからということで、実際そういうお仕事をしているお姉さんたちとご飯食べたり、いろんなことを事前にしました。相米さんから「この本を読んでおけ」と言われて、そのもらった本を読んだり。そういうふうなことの中で、「ちょっとコンテンポラリー的なダンスをしたらいいと思うんだけど」って言って。そういうダンスを教えてくださる方を紹介してもらって、埼玉の方まで何度か足を運んで。それで教えてもらって、やったんです。
――音楽の大友(良英)さんに以前取材していまして。あのラッシュを見て、あのエレクトロニクスの音をつけた。ただ、相米さんは使わないと思って、生っぽい音を作ったらしいんですけど、相米さんは「元のエレキがいい」って言って。それであの音が残っているっていうのは、それを聴いて、観て、すごく合っているなというふうに。大友さんも思ったように、相米さんはその後の“生っぽい”方を使いそうなのに“エレキ”のほうを使うのが新鮮だし、面白いなと。
小泉 すごい。いま観たくなってきている(笑)。
――浅野忠信さんも相米組ははじめてでした。
小泉 やっぱり、浅野さんって、新しいタイプの俳優像っていうものを持ち込んだ人だと思うんです。なんか(日本映画に)“浅野以前、浅野以降”というのがある気がしていて、どうしても。で、なんかそれをそのときに目撃している感じというか。相米さんと浅野くんが映画を一緒に作っているのを目撃しているという感覚で現場に行っていた感じはありました。
――書籍「相米慎二 最低な日々」(A PEOPLE:刊)の中に「相米慎二に訊く、50の質問」という企画があります。小泉さんに意見を伺いたいので、ひとつ読ませていただきます。質問。「男と女、大人と子供、どっちが描きやすいですか?」。相米さんの答え。「映画というのは本当のことを再現するのではなく、嘘を本当らしく見せるってことだから、自分と遠い方が描きやすいです。そういう意味では、いちばん描きやすいのは大人の女」と言われています。「魚影の群れ」の夏目雅子さんは当時25歳で、「ラブホテル」の速水典子さんが26歳。「光る女」の秋吉満ちるさんが24歳。「風花」の前までは、実は“大人の女”は描いていない。「風花」の小泉さんではじめて30代の“大人の女”を主役にした。
小泉 私もそう思いました。やっぱり相米さんの年齢も五十代だったでしょ。少しこう距離を置いて、見れるというか、撮れるっていうような感覚があったのかなと思って。だから、ここから始まるなっていう感じは本当にしていました。
――個人的に相米ファンでもあるのですが、当時、薬師丸さんや斉藤由貴さんがよく“重力のある女優”さんみたいなことを言われていて。僕なんかは小泉さんにそうしたものを感じていて、早く相米さんと仕事をしてくれないかなと思って見ていたんですけど。
小泉 若いときに相米さんに会っていたら、多分私は反発したと思う。私は私で背負っているものがあるんだ、みたいなことを。やっぱりそこが薬師丸さんとか斉藤さんとは違う立場というか。なんか多分潰されたかもしれないし。相米さんに、その私の可能性を。多分うまくいかなかったと思う。ギリギリお互い間に合ったんだろうなっていうのは、「風花」をやったときに感じましたね。いい時期にやれたと思います。
――今日、「風花」公開から24年が経っていて、舞台に立たれてどう感じられていますか。
小泉 撮影現場とかでも、相米さんとお仕事したことがある方と会うと、絶対に相米さんの話になって。相米さんだったらこの作品について何て言うのかね? とか。この芝居にどんなこと言うかねとかって。よくそんな話をします。柄本明さんとか。この間はドラマのときに中井貴一さんと(三浦)友和さんがいらしたのね。で、3人で、「あっ結構ここの現場は相米の家の子が多いね」って。そんな話をしたりするぐらい、みんなにいまだに愛されていますね。こういうふうに観に来てくれる人がたくさんいるっていうのはすごく嬉しいし。本当に劇場映画としては(相米監督の)最後の作品になっちゃったじゃないですか。当時はたくさん2人で、取材を受けたりして。ちょうどミレニアム。2000年から2001年にかけてみたいな話で、世紀が変わるタイミングだったので、「長生きして生き証人みたいにならなきゃダメなんじゃない?」って私が言ったら、「絶対なりたくないからお前がなれよ」って。なんか取材のときに言われたんですけど、実際そうなってきちゃっているっていうか、こうやって相米さんのことを伝えられる人とかスタッフとか役者さんもいるけど、それも限られているわけで。なので、今日もその生き証人として来ています。本当に相米さんとの約束のような気がしていて、相米さんの存在、相米さんの笑顔を伝えていきたい。たくさんの人に観ていただくっていうことが、なんか最後にした約束のような気がしているので、今日もここの場に立てて良かったです。今後も立っていきます。
――相米監督って、海外映画祭に行かれているイメージがあまりないんですが、浅野さんは「風花」でトロント映画祭に一緒に行かれているんですよね。
浅野忠信 行きましたね。確か、成田空港からトロントへ向かったと思うんですけど、待ち合わせして、空港で会って。2,3日か3,4日だったと思うんですけど、みんなちゃんと荷物持ってくるじゃないですか。監督、紙袋で来たんですよ。「え?」と思って。「監督、荷物は?」って言ったら、「これだけ」って。プロデューサーと空港の寿司屋に入って、酒飲んで。飛行機、乗ったらまた機内でもビールをガンガン飲んでいるんですよ。僕、隣だったんですけど、案の定、グーグー寝ちゃって。それでカナダについて「監督、着きましたよ」って言ったら、「ああ」とか言って起きて。そしたら、監督、その紙袋置いて行っちゃったんです。「監督、荷物、忘れていますよ」って言ったら、「ああ、いらない」って。カナダで手ぶらで入国ですよ(笑)。
――何が入っていたんですかね。
浅野 わからないんですよ。「荷物持ってきたよ」っていう割には、着いたらもういらないんですよ。それがカナダ・トロントでの想い出です。このエピソードが強すぎて、肝心の映画祭のこと、何も覚えていません(笑)。
――浅野さんは1990年のデビューで、凄い監督の方々と10年間やったキャリアがありました。そこからの2000年の「風花」の撮影です。相米監督の印象はいかがでしたか。
浅野 インする前に、小泉さんとスタッフ何人かで食事に行ったんです。ほぼ、監督とまともに話すのは初めてだったんですけど、「浅野くんは馬鹿だから台本、何回も読むように」って、いきなり言われて。「えー!?」と思って。ほとんど会ったことないのに。そして、なんでわかったんだろうと思って。
――浅野さん、キャリア10年で台本、読んでなかったんですか?
浅野 台本は一回くらいしか読まない。勘でいけたんですよ。それまでは。「君はそれでは限界を迎えるよ」って相米監督にずばっと言われた気がして。そこから台本、何回も読むようになりました。それが本当に今の自分を作ってくれています。この間、アメリカで大きな賞(第82回ゴールデングローブ賞で助演男優賞を受賞)を頂きましたが、あの作品(「SHOGUN / 将軍」)でも本当にめちゃくちゃ台本読んでいますから。でも、それって本当に「風花」から頭にこびりついているんですね。答えが見つからないときは台本読む以外ないんです。
――書籍「相米慎二 ふたつの創造 ふたつの感性」(A PEOPLE:刊)の浅野さんのインタビューで相米監督に「お前はファーストテイク以外はダメだから」と言われたというのが印象的で。僕はすごい褒め言葉だと思うんですよね。小泉さんが追いつくまで、浅野さんは待たなきゃいけないっていうことですよね。
浅野 監督に現場で“敵”と言われていたんです。「何で“敵”なんですか?」って聞いたら、「キョンキョンを美しく撮るためにお前は味方になるはずだったのに、全く思い通りに動かないんだよ。だから今日から“敵”と呼ぶ」って言われて。「“敵”は、悪いけど一発目しか良くねぇから、一発目をずっとやれ。俺はキョンキョンを撮りに来ているんだ」とかいうんですよ。
――ファーストテイクをやり続けるんですか?
浅野 そこを見抜かれたと思いました。確かに僕は最初しかできないし、で、2回目って言われたら、もうすぐ2回目をやっちゃうから、さっきじゃなくなるわけですよ。だから、本当に練習しましたね。昔は本当に感覚で、もう1回やっていいときはもう1回面白いことをやっちゃっている。でも、今は何回来ても、1回目に見えるようにやれるようになったというか。
――相米映画のシーンの入り方って、どうなんですか?
浅野 なんか確実に芝居を楽しみにしてくれていたんですよ。だから現場に行って何の段取りもつけないですし、もうただ、「はい、どうぞ、ここが今日の舞台で好きにやってください」と。どこに座れとか、どこで立てとか何にもない。本当にそうやって我々俳優を楽しみに見てくれる監督だったんです。
――いいタイミングでの相米監督との出会いだったんですね。
浅野 そうですね。なんか、当時、僕はちょっと正直諦めていたところがあったんですね。というのは、自分のやり方が本当にリアリティに当てはめて何かをやりたかったもんですから。ただ、現実にはやっぱり現場で監督が「どうしてもこれをやってください」とか、「こうです、こうです」ということが多かったんで。ああ、「俳優って好きにできないんだな」と思ったんですよ。もうそれはこれから続けてく上ではしょうがないことなんだって諦めていたんですね。そのタイミングで、相米さんに会った。「えっ!」と思って。「これが本当に僕がやりたいことだ」と思いました。全部自分で決めていい。で、その先も自分で楽しませなきゃいけないっていう使命を与えられていたから。これこそが僕が理想としていた現場だと感じました。
――浅野さん、いま51歳で、「風花」を撮影していた時の相米監督と同じ年齢になられた。亡くなったのは、「風花」が公開される前で52歳でした。
浅野 そうですね、今この年齢で撮っていたんだなと思うとなんか不思議ですね。僕が今あれをやれって言われてもできないし。あんなふうには生きられないと思います。亡くなられたときに、まだ当時、テレホンカードがあった時代だったんですけど、相米さんの写真のテレホンカードをもらったんですね。それがもうずっと仏壇にあります。もちろん相米さんの写真だけじゃなくて、うちのおじいちゃんとおばあちゃんとか。もう20年以上経ったんですかね。ちょうど窓から朝日が当たるところに掛けてあるから色褪せて。相米さんがもう毛が無くなっちゃって。
――相米監督は次回作として「壬生義士伝」を準備されていた。滝田洋二郎監督作品とは全く別のバージョンですね。この作品に永瀬(正敏)さんも浅野さんも呼ばれていたと聞いています。
浅野 いやー、もう本当に全然覚えてないんですけど、なんかきちんとした、そのお侍さんというか、そういう役をいただいて。本当にもうすぐにでも相米いさんとやりたかったですから、「絶対やる」ってすぐ返事して。相米さんと時代劇、やりたかったですね。
――本日はいかがでしたか?
浅野 本当にもっともっと話せることいっぱいあると思うんで。そうですね、また何かのタイミングで相米さんの上映会をやってもらいたいなと思います。逆にそんな機会があるかわからないですけど、フィルム上映っていうのがどこかでできるんだったら、それはそれでまた見てみたいなと思いますね。“相米病”にかかってる俳優さんがいっぱいいるから、僕だけじゃなくて、多分皆さん話を聞いたら止まらなく出てくるなと思うんで。機会があったらみんなでお話ししたいです。
ユーロスペースにて公開中
10月11日(土)よりナゴヤキネマ・ノイにてロードショー
定価:2,970円(本体:2,700円+税10%)
発行:A PEOPLE株式会社
販売:ライスプレス
ユーロスペース、Amazonほか一部書店にて発売