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夕霧花園

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夏目深雪


運命と倫理

映画はいろんな見せ方がある。
都市のランドスケープを、そしてその都市に生きる人々の身体を、スタイリッシュにその都市の温度感とともに伝えるのに長けた監督。

凝った脚本を一大絵巻のごとく展開し、人生と人間関係の妙を巧みに伝える監督。男女の機微、その表情の変化を、長短のショットで写し取り、愛を確かに現前させる監督。

トム・リンはいずれでもない。
彼の撮る台北はエドワード・ヤンやホアン・シーが撮るほど生き生きとはしておらず、ありふれた都市に見えるし、チョン・モンホンのように凝った脚本を手練れの演出で料理していくタイプでもない。

三番目――つまり愛が、最もトム・リン監督の描きたいことに近いようにも思うが、でも違うようにも思う。

何故なら、「九月に降る風」(08)も「百日告別」(15)も、そして新作「夕霧花園」(19)も純粋なラブストーリーではないからだ。

「九月に降る風」ではちょうど一時間経ったところで主人公の一人、イェンは植物状態になってしまうし、高校生の悪ガキグループを描いたこの作品においてそもそも恋愛はほんの一部分でしかない。

交通事故で、お互いに伴侶を失った男女を描く「百日告別」はもっと極端で、冒頭で交通事故は起こってしまい、ほぼ全編が「その後」となる。

その後――取り返しのつかないこと、決定的なことが起こったしまった後、どのように生きていくか、どのように世界を取り戻すかを、トム・リンはいつも丁寧に描いている。

「九月に降る風」ではイェンが決して目覚めない眠りについてしまってから、その前に描かれていた、彼の傍若無人なやんちゃぶりが「もうないもの」として輝きをもってこちらに迫ってくるのだし(リディアン・ボーンの素晴らしさ!)、「百日告別」ではもう亡き伴侶の持ち物に囲まれて身悶えしながらも、彼らの想い出から徐々に脱していく男女を描いている(2人の葛藤が乗り移り爆発したかのような、故人の弟を演じたチャン・シューハオの号泣シーンが出色だ)。

そういった意味では「夕霧花園」も同じだ。
この映画での「決定的なこと」は大戦中の1942年に日本軍がマラヤ(現マレーシア)を占領し、終戦までの3年間日本軍に支配された時代に起きた。

ヒロインであるユンリンの妹はこの時代にただそこにいただけで、あらゆる意味で蹂躙された。

いろんな国の人々が入り混じる国際共同製作の難しさに加え、惨禍から当時の生存者だってまだ生存しているくらいにしか時間は経っていない。

マレーシアの製作会社がトム・リンに映画化を持ちかけたのは慧眼だったと思うのだ。直接の当事者ではないというのもあるし、彼がいかに「その後」を描くに長けているか。

何よりも「その後」を生きる人物のリアリティを重視し、俳優の演技に重点を置くために、今までの作品はあまり凝った構成のものはなかったが、「夕霧花園」は大戦中、ユンリンが庭師中村と出会う50年代、そして80年代の三つの時間軸が交錯する複雑なものとなっている。

若き日のユンリンをリー・シンジエ(アンジェリカ・リー)が、老いたユンリンをシルヴィア・チャンが演じる配役も、上手くはいっているが、どちらかというとドキュメンタリータッチで映画に「生々しさ」を刻印するトム・リンにとって、こういった複雑さや技巧はむしろ難しさとして現れたに違いない。

結果として「もうないもの」への憧憬や狂おしい情愛が現前する映画というよりは、精緻な硝子細工のような作品となっている。

だが各国の主張がぶつかり合って(或いは忖度で)ただでさえ何が言いたいのかよく分からなってしまう国際共同製作が多いのに、この題材でここまで美しい映画を撮れたことは奇跡であろう。

美しいというのは、ロケハンに苦労したというだけであってマレーシアの風景もそうなのだが、何よりも人々の佇まいの美しさにある。

一番美しい青春期に蹂躙された亡き妹の夢を叶えようとするユンリン。ユンリンを愛しながらも、秘密を抱え、ある決断をする中村。

かくも危うい題材を使って(この作品はトム・リンの「星空」のように絵本が原作というわけではない)イデオロギーから無縁な、ただ美しい人々たちがただ出会い、別れ、それでも愛し合う映画を作り上げることができたものだ。

それは彼が今までの作品で培ってきた「撮る際における倫理」の積み重ねによるものだろう。突然の事故で愛する人を失ってしまうこと。

彼はその悲惨さの前で、筆舌に尽くしがたい悲しみの中で(配偶者を亡くすというのは、彼が実際に経験したことであった)常にカメラを回してきた。

インタビューで彼は「美的センス」という言葉を使ったが、慰安所でのシーンでカメラが何を写すか、何を写さないかは倫理の問題である。

運命に翻弄された人々を倫理的に美しく撮った映画――この映画は、トム・リンにとって画期となるだろう。


「夕霧花園」

監督:トム・リン
出演:リー・シンジエ/阿部寛
2020年/120分/マレーシア
原題:夕霧花園 The Garden of Evening Mists

配給:太秦

7月24日(土)より渋谷 ユーロスペースほか全国ロードショー


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