*

CULTURE / MOVIE
第14回大阪アジアン映画祭開幕、
注目の監督チャン・リュル「群山:鵞鳥を咏う」

第14回大阪アジアン映画祭が3月8日より開幕。今年ベルリン映画祭で最新作「福岡」が上映された注目の映画監督、チャン・リュル。今回の映画祭で上映される「群山:鵞鳥を咏う」を映画批評家・相田冬二がレビュー。


映画祭や特集上映での紹介、また「春の夢」のDVDリリースがあったとはいえ、日本において「チャン・リュル」という固有名詞が認知されているとは到底言いがたい。逆に言えば、これほど超然とした映画作家が、パリやニューヨークに匹敵すると言っても過言ではない東京において、いまだ発見されずにいる事実はもはや奇跡と呼ぶべきなのかもしれない。

チャン・リュルはこれから1本の映画が正式に劇場公開されるわけだが、その前に関西の映画祭でそれとは違う近作が上映されることを、まずは素直に喜ぼうではないか。チャン・リュルという監督の、我が国におけるキャリアがいままさに本格スタートするタイミングに立ち会うことは、のちのち僥倖だったと振り返るしかないはずだから。

慶州、群山、福岡。彼の近作はいずれも地名をタイトルに冠している。そもそも地名とは何か。実在の場所を明示することにいったい何の意味があるのか。彼はそこでどのようなことを目論んでいるのか。

その監督名を傍らに置くことにはほとんど意味がないのだが、あえてその不毛を試してみる。チャン・リュルとの共通点は「唯一無二の個性と有能さ」にしかないとも言えるホン・サンスという固有名詞を召喚すれば、事態はいささか明瞭なかたちを身にまとうことになるかもしれない。

たとえばホン・サンスであれば、空間にしろ時間にしろ、わたしたちが生きている「この世界」とは隔絶された「彼の映画」にしか起こりえない規則と逸脱のマリアージュを繰り広げるだろう。しかしながらチャン・リュルは、わたしたちが知っている「この世界」の存在をどこかに留めながら、境界線上にある空間や時間を「彼の映画」として創出し、提出する。曖昧なのではない。「またがる」、あるいは越境するという確たる意志がそこにはある。

ワインの世界では、ひとつの料理の皿に、2杯の異なるワインを合わせることを「ダブルマリアージュ」と呼ぶが、チャン・リュルがおこなっているのはまさにそのようなことだ。つまり、現実の地名は「この世界」を強く意識させながら、「彼の映画」の中にしか存在しない、現実とは別次元の夢や妄想に限りなく接近した空間と時間の提示を可能にする。本作で言えば「群山」とは、日本に統治されていた時代の面影が残る韓国の地方都市であると同時に、主人公たちの頭の中にしか存在しない空間であり時間なのである。

旅という行為は、能動で始まりながら、いつの間にか受動にはまり込んでいる側面が魅力でもあるが、未知の体験が郷愁を強く喚起するという不思議とも無縁ではない。つまり旅とは、デジャヴのエンドレスなループだ。初めて降り立ったのになぜか懐かしいという「あの感覚」は、わたしたちの体内に設置された情感の豊かな「誤作動」であり、この錯誤と転倒こそがチャン・リュルという作家が目指しているものなのかもしれない。

先輩の元妻と固有の関係(恋人でも愛人でもない)をつづける主人公は、母の生まれ故郷である港町、群山をふたりで旅する。そこで出逢ったのは、日本の福岡で育った韓国人である宿の主人公と、ある「事故」をきっかけに自閉症へと至った彼の娘。二組の、着地点のない人間模様が、彼がはらむ「ここではないどこか」への感傷を増幅させていく。

旅とはアウェイに降り立つことに他ならないが、主人公がその過程で(たったひとりで)路上の奇妙な他者と遭遇し、まるでわかりあえないまま別れるエピソードの繰り返しは重要だ。先輩の元妻は快活ではあるものの、傷を抱えて生きており、主人公も物静かな男。だが、二組以外の他者たちはどこかノイジーで、何かを「叫んでいる」。何度かあるデモ場面は本作の(現実に接する)別側面の象徴だと思われるが、主人公たちの「ささやき」と他者たちの「叫び」との対比は、観る者を決して夢や妄想の中だけに埋没させはしないチャン・リュルならではの「ダブルマリアージュ」技法によって、旅の本質を明らかにする。

そう、旅とは、ある地点からある地点への移動を示すのではなく、ふたつの空間とふたつの時間すべてに両手両足を拡げてタッチしつづけることなのだ。言ってみれば、眠りながら覚醒すること。朝方にみる夢をひとは記憶するという。それは夢が限りなく現実に接近している頃合いだからだろう。魂の半身浴。逃避としての夢ではなく、現実を迎え入れるための夢が、この映画にはある。そしてそれは、いまのところ、チャン・リュルの映画でしか体験できない情緒なのである。

Written by:相田冬二


第14回大阪アジアン映画祭
「群山:鵞鳥を咏う」

監督:チャン・リュル
出演:パク・ヘイル/ムン・ソリ