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CULTURE / MOVIE
みずみずしい感触でなされる究極の問い
「バオバオ フツウの家族」

森田芳光の「キッチン」を観たときのことを想い出した。
 あの映画に登場した橋爪功は、妻に先立たれた後、男であることをやめ、おかまバーの店主となったという設定だった。彼(女)の息子は、ヒロインの恋人なのだが、彼にとって、かつて父親だったひとは、母親に変身したわけではなく、これまでとは別個の一人格としてそこにいた。橋爪の、そして息子を体現する松田ケイジの素晴らしい演技は、親と子が、新しい思いやりを構築している姿を提示した。森田芳光の映画は常に、未知の「モデルプラン」の提案なのだが、それは単なる理想ではなく、「実現可能かもしれない」一例でありつづける。

人間の本質は変わらない。けれども、人と人との関係性は、きっと、もう一歩先にいける。「バオバオ フツウの家族」と日本で名づけられた台湾映画に出逢ったとき、「キッチン」で想ったことと同質の感慨に至った。
 レズのカップルと、ゲイのカップル。それぞれ子供が欲しい二組は、ゲイふたりの精子を、レズのひとりの胎内で人工授精させることで、男女それぞれの赤ちゃんを分け合う計画に着手する。きわめて合理的なプランだったが、事態は思い通りに進まない。身体も、気持ちも、簡単ではないのだ。
 この映画の美徳は、「キッチン」がそうだったように、同性愛をめぐる社会的偏見をあえて顕在化させていない点にある。被害者としてのマイノリティではなく、あくまでも一個人として自分の人生にトライしている様を見つめている。だから、清々しいし、普遍性が純化されている。

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誰かと誰かが、固有のしあわせを望むとき、別の誰かかが傷つくことになる。だが、誰かを傷つけて、それは、しあわせと呼べるのか。ここでは、究極の問いがなされている。しかも、とてもみずみずしい感触で。
 ゲイのひとりを演じる蔭山征彦の存在感が、この映画の特色であり、オーラでもあると思う。蔭山が表現しているのは、人間のエゴイズムであり、それと等価の趣で存在するピュアネスである。誰もが思い当たる傲慢さと卑屈さを、透明に伝える技量に驚いた。もちろん、この物語だからこそ成立したのだとは思うが、一見、ネガティヴに映る感情を、それすらも愛すべき何かとして、虚飾を排して床に置くような蔭山の演技は、リボンもラッピングもない、最良のギフトだ。
 このキャラクターを見ていると、人間はこんなにも身勝手で、わがままで、姑息で、狡猾で、どうしようもない生き物なのに、そのことも含めて、ひょっとすると美しいのかもしれないと思う。錯覚かもしれないが、そんなふうに錯覚できるからこそ、人間には進化する可能性も眠っているのではないか。

人生には、新しい問題が山積みだ。生きていくかぎり、そのひとつひとつに、新しい答えを出していくしかない。その人なりに。そんな真実に「救われる」。そんな映画だ。

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Written by:相田冬二


「バオバオ フツウの家族」
監督:シア・グアンチェン
出演:エミー・レイズ/クー・ファンルー/蔭山征彦/ツァイ・リーユン/ヤン・ズーイ
9月28日(土)新宿 K’s cinema他 順次公開

©Darren Culture & Creativity Co.,Ltd.


【関連リンク】
「バオバオ フツウの家族」に出演している蔭山征彦さんが脚本を書いた映画「あなたを、想う。」が11月2日より公開されます。
「あなたを、想う。」公式サイト