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CULTURE / MUSIC
韓国音楽芸能ヒストリー
「韓流」以前の韓国音楽芸能史を辿る 第2回「1970年代 前編」

1969年、ハン・デスが南山公園を通じて韓国国内にフォーク・ミュージックとシンガー・ソングライター時代の到来を告げた先駆者だとしたら、キム・ミンギ※1はそのフォロワーしてフォークをメイン・ストリームに引き上げた中心的人物。1971年、ソウル大学・美術大学在学中のキム・ミンギが作詞作曲してヤン・ヒウンに提供した楽曲『朝露』がヒットし、自身もアルバムを発表する。ハン・デス、キム・ミンギの活躍に刺激を受けた若者たちは、経済成長とともに巻き起こったレクリエーション・ブームに便乗し、フォーク・ミュージックをカウンター・カルチャー(対抗文化)の象徴として熱狂的に迎え入れた。しかし、軍事政権の下で活動を行うミュージシャンたちは、常に弾圧と監視の対象として目されるようになっていく。一躍時代の寵児となったハン・デスだが南山公園後、強制的に軍に入隊させられ、5年後の1974年になってようやく自身初のアルバムをリリースするも、販売禁止処分の憂き目にあう。キム・ミンギのアルバムも同様の扱いを受けることに。

一方、フォーク・シンガーたちは、シンプルなサウンドを補強するためにコンビデュオとして活躍することが多くなっていく。SMエンターテインメントのイ・スマン社長も当時、4月と5月というユニットで一時期活動していた。1973年、セシボン※2出身歌手イ・ジャンヒがソロで歌った『それはあなた』のヒットをきっかけに、「デュエット全盛期」は次第に陰りをみせていく。従来のフォーク・ミュージックが持つ自由な表現方法を踏襲しながらも、軽快なバンドサウンドを取り入れたのがヒットの要因であった。その後、ほかのフォーク・シンガーたちも先を争うようにバンドサウンドを取り入れるようになり、ボーカル・ハーモニー主流の時代は過ぎ去っていった。また、イ・ジャンヒの成功をきっかけに、フォーク・ミュージックはトロット(韓国式の演歌)などのポピュラー歌謡音楽界に接近し新しい潮流が形成される。イ・ジャンヒ以外のセシボン出身歌手たちもメイン・ストリームの歌い手として活躍した。

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1974年には映画『星の故郷』が当時としては記録的な約46万人もの観客を集めて大ヒット。この成功の背景には、イ・ジャンヒが手掛けた音楽が強く影響していた。彼が歌った『私はあなたにすべてを捧げます』は従来見られなかった、聴き手に向けて直接的に語りかける手法が若者たちの間で大きな反響を呼び起こしたのだ。レコード・リリースから40年が過ぎた現在でも、マクドナルドのCMソングに起用されるなど、当時の爆発的人気のほどと色あせない楽曲の魅力が伝わってくる。『星の故郷』に続き、1975年の映画『バカたちの行進』の成功は、生ビール、ジーンズ、ギターをシンボルとした若者文化をより一層押し広げた。韓国初のフォークデュエット、ツインポリオ出身のソン・チャンシクが音楽を担当。彼が歌った『なぜ呼んだの』や『鯨狩り』は多くの共感を集めたが、『なぜ呼んだの』は劇中の主人公が警察官による長髪の取り締まりに応じず逃走する場面で使われたという理由で、また『鯨狩り』はクジラが最高権力者のイメージを喚起させるという理由から禁止曲に指定された。

軍部の弾圧による苦難を語るにあたって、ロックの父と言われるシン・ジュンヒョンの存在は欠かすことができない。1960年代から韓国のロック文化の先頭に立っていた彼は、1973年にロック・バンド、シン・ジュンヒョンと古銭たちを結成し、韓国ポピュラー音楽史に残る名盤を発表する。軍の弾圧を避けるために、あえて愛国的な歌詞をつけて作曲したにもかかわらず、ほとんどの曲が禁止曲に指定され、1975年、いわゆるマリファナ事件※3に巻き込まれて拘束される。歌謡浄化措置※4と同事件によって、それまで若者たちをリードしてきたフォーク、ロック音楽のムーブメントは衰退。政権の存続を脅かすカルチャーを退廃的とみなし、実質無力化させたのである。現在のK-POPがダンス音楽中心に偏向している一方、ライブ音楽が成熟しなかったのは、当時から1980年代まで続いた若者文化に対する弾圧の歴史と無関係とはいえないだろう。

夜間通行禁止、長髪禁止、ミニスカート禁止、事前審議制と禁止曲……。すべてが「禁止」という呪われた1970年代だが、2008年に公開された映画『GO GO 70s』※5をぜひ見ることをお勧めしたい。当時の若者たちを熱狂させたゴーゴー音楽やゴーゴークラブが実感できるよう再現された作品である。

※1.キム・ミンギ:1951年生まれ。4枚の正規アルバムをリリース。ヤン・ヒウンの声を介して、より有名になったキム・ミンギの曲は、本人の作詞意図とは関係なく、学生のデモ運動でよく歌われ、そのため警察署に連行されるなど、多くの苦難を経験した。1994年、劇団ハクジョンを設立し、ミュージカル『地下鉄1号線』など、ミュージカル演出家として活躍中。

※2.セシボン(C’est si bon):1960年代から明洞一帯を中心に作られた音楽ホールのひとつ。様々なイベントが繰り広げられ、「大学生の夜」のコーナーでは歌の才能の大学生を発掘したり、「新曲合評会」で新人アーティストのショーケースも行われた。このホール出身のソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュ、イ・ジャンヒなどの活躍に力づけられ、スターの登竜門として脚光を浴びた。

※3.マリファナ事件:パク・ジョンヒ大統領は、フォーク・シンガーや“米8軍舞台”出身の歌手が、欧米の退廃文化を促すと判断し、彼らを拘束するように指示した。筆頭のターゲットになったシン・ジュンヒョンをはじめ、ユン・ヒョンジュ、イ・ジャンヒ、キム・チュジャなど、多数の歌手が拘束された。1979年に解禁されるまで、公演や番組の出演が禁じられ、アルバム発売にも制約が課せられた。

※4.歌謡浄化措置:ベトナム敗亡、韓半島での米軍撤退説など一連の緊迫した政治状況に危機感を感じたパク・ジョンヒ大統領は、国民の基本的人権を制限する緊急措置を立て続けに発令する。1975年の緊急措置9号に関連したこの措置により222曲が禁止曲に指定された。ハン・デスとイ・ジャンヒなど、多くのミュージシャンが音楽的自由を求めて韓国を離れて行った。

※5.『GO GO 70』:伝説のバンド、デビルズにまつわる映画。2008年青龍映画祭で音楽賞を受賞。チョ・スンウの歌とシン・ミナのセクシーなダンス、現在ロック・バンド、ムーンシャイナースのギター&ボーカル担当のチャ・スンウの演技も見どころだ。劇中に登場するコラムニストもソ・ビョンフという実在の人物で、韓国のヒップホップ・シーンを代表するタイガーJKの父である。

主な出来事
1971年 キム・ミンギ、デビュー・アルバムを発表
1973年 イ・ジャンヒ『それはあなた』ヒット、バンドサウンドの流行
ロック・グループ、シン・ジュンヒョンと古銭たち、デビュー・アルバムを発表
1974年 ハン・デス、デビュー・アルバムを発表
映画『星の故郷』がヒット、若者文化の台頭
1975年 マリファナ事件でフォーク・シンガー及びロック・グループが多数拘束

Written by:李晟煕 イ・ソンヒ


李晟煕 イ・ソンヒ
1965年 韓国生まれ
1989年 MBC江邊歌謡祭大賞曲作詞、プロ作詞家デビュー
1990年 韓国音楽著作権協会会員
1990年 地球レコード入社(Domestic A&R担当)
1990年 文化観光部主催の著作権実務専門家講座修了
1997年 地球レコードA&Rチム長(Domestic総括)
2000年 (株)OXY入社,音楽事業チム長
- 韓国最初のネット配信サイトO2Musicロンチング
2006年 (株)パンクロス設立
- avex music publishing社などの音楽出版社と韓国作家の日本パブリッシング展開
- 韓流ぴあのグルメ、K-POP関連コラム連載、歴史ドラマなどのMOOK参加
2014年から作曲家・ピアニスト梁邦彦氏の韓国マネジメント担当