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CULTURE / MUSIC
韓国音楽芸能ヒストリー
「韓流」以前の韓国音楽芸能史を辿る 第4回「1980年代 前編」

2013年1月、新人アイドル・グループ、ファントム(Phantom)*1が『チョー・ヨンピルのように』というタイトルの楽曲をリリースして音楽ファンたちの耳目を集めた。「チョー・ヨンピルのように僕は変わらず歌うよ……」というサビの歌詞が印象的なこの曲は、売れない歌手として自分のふがいなさを彼女に伝えつつも、チョー・ヨンピルのように変わらずミュージシャンの道を歩んでいくという覚悟を歌った内容だ。チョー・ヨンピル(趙容弼)*2は、今年でデビュー50周年を迎える。およそ半世紀にわたる音楽活動を通じ、いまだに後進のミュージシャンたちのリスペクトを一身に集めている彼の魅力とは一体どこにあるのだろうか。

韓国では“歌王”と呼ばれているチョー・ヨンピル。しかし、彼の全貌はその類まれな歌唱力を誇る歌い手という一面だけではうかがい知ることができない。米8軍舞台のステージで無名のバンドを率いて活動していた彼は、1975年に『釜山港へ帰れ』でソロデビューを果たし瞬く間に爆発的な人気を集めるが、同年末に起きたマリファナ事件によって活動禁止を余儀なくされる。4年後の1979年12月、活動禁止措置が解かれるや否や、TBCラジオドラマの主題歌となった『窓の外の女』で見事再起を果たす。当時の主流サウンドであったスケールの大きなポップ・オーケストラ風の編曲を前面に打ち出し、シンセサイザーやピンク・フロイドを思わせるサウンドを大胆に取り入れるなど、当時としては画期的な手法として大きな評価を呼んだ。1980年にリリースされた1stアルバムは、収録されたほとんどの楽曲がヒットするという前例のない記録を打ち立てる。特に『おかっぱの髪』は冒頭パートのシンセサイザーによるキャッチーなフレーズ、エレクトリック・ドラムのサウンドを導入し、これまでに類を見ない音づくりによって音楽ファンたちを熱狂させた。1979年10月、朴正煕大統領が側近に暗殺され、18年に及ぶ長期政権が終えんを迎え、1980年代へ突入しようとしていた大きな時代の転換期に、革新的ともいえる彼の音楽表現は新しい時代への国民の渇望を満たすものであった。単なる音楽好きな若者ファンだけに留まらず、様々なジャンルと呼応し、ほぼすべての世代に訴えるほど強烈なインパクトを残した。

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チョー・ヨンピルの音楽的成功において偉大なる誕生*3というバックバンドの存在を抜きに語ることはできない。シンガ・ソングライターであるチョー・ヨンピルを中心に、当代最高のミュージシャンたちが集結し、創意に富んだオリジナリティあふれる楽曲を次々と制作した。西洋のポピュラー音楽の模倣ではなく“韓国的なポピュラー”を志向し、そして今日に至るK-POPと呼ばれるいわゆるひとつの音楽ジャンルが誕生するベースを築き上げた。また、チョー・ヨンピルは日本など海外の舞台でも多大な足跡を残したパイオニア的な存在として後輩ミュージシャンたちに記憶されている。前述のファントムの楽曲が示すように、彼のもたらした影響力は計り知れないものがあるのだ。今年4月、10年ぶりに通算19枚目となるアルバムを発表して再び注目を浴びているチョー・ヨンピル。ファントムは、自分たちが尊敬してやまないこの偉大なミュージシャンのショーケースにゲストとして招かれ、喜びをかみ締めた。

朴大統領の暗殺事件後、権力を掌握し1980年に第五共和国を発足した新軍部勢力*4は、社会浄化政策の一環という口実で国民の人権を蹂躙(じゅうりん)する。「三清(サムチョン)教育隊」を設立し、体制に従わない人々は厳しい肉体的・精神的弾圧を受けた。この非常事態の中、自由とロマンを謳歌する大学生や若者たちは活力を奪われ、1970年代末に起きた大学歌謡祭によるバンドブームも一気に失速。ミュージック・バーなど音楽を取り巻くカルチャーも同様であった。一方、キム・ミンギの『朝露』をはじめ、大学生や労働者の間で歌われた楽曲は、1980年の光州民主化運動*5をきっかけに、急速的に支持を広げていき民衆歌謡というひとつのジャンルを形づくっていく。
1982年、第五共和国の政府は、国民融和的な方向を打ち出した事例のひとつとして夜間通行禁止を解除。これによりミュージック・バーのステージも再び活況を呈し、萎縮していた音楽シーンも活気を取り戻し始めていく。同年にはプロ野球リーグが発足、またソウルが1988年の夏季オリンピックの開催地に決定させるなど、社会全体の雰囲気も一段と明るくなっていった。このころリリースされたマイケル・ジャクソンの『スリラー』は韓国でも50万枚以上のセールスを記録するなど、その後のダンス・シーンの発展を予見させる音楽カルチャーのエポックとなったのは言うまでもない。

*1.ファントム(Phantom):キッゲン、ハンヘ、サンチェスからなる男性3人組ヒップホップ・ユニット。2011年にデビュー。2012年第20回大韓民国文化芸能大賞アイドル新人歌手賞を受賞。2013年1月にリリースしたアルバム『PhantomTheory』に収録された『チョー・ヨンピルのように』が大好評を博した。ヒットメーカーとして有名なライマーとキム・ドンフンが共同で制作に参加している。

*2.チョー・ヨンピル(趙容弼):1950年生まれ。1968年『アトキンズ』のメンバーとしてデビュー。1980年、1stアルバム『窓の外の女』をはじめ、19枚の正規アルバムを発表。韓国最高の歌手として今日まで高い評価を受けている。1980年を皮切りに各放送局の主な音楽賞を受賞したが、1986年以降はテレビにはほとんど出演することなく、ライブ公演に力を注いでいる。

*3.偉大な誕生:チョー・ヨンピルのバックバンド。1979年解禁直後に結成し、1stアルバムをはじめ、以降全アルバムのレコーディングはもちろん、ともにツアーを回っている。メンバーはアルバムのコンセプトや方向性によって変更もなされたが、常に最高のミュージシャンたちで構成された。彼らはチョー・ヨンピル以外の活動も並行しながら1980~1990年代の韓国音楽シーンを引っぱった。

*4.新軍部勢力:18年にわたる長期政権のトップに君臨した朴正煕大統領が1979年、側近によって暗殺されると、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)を中心とした軍人たちが再びクーデターを起こし権力を掌握、以前の軍部政権と区別するために新軍部と呼んだ。その後、新軍部を率いた全斗煥と盧泰愚は韓国の第11・12代と第13代大統領に就任。

*5.光州民主化運動:1980年、新軍部勢力は全国的に戒厳令を敷き、軍事独裁を延長しようと画策。同年5月、光州で大規模なデモが発生。戒厳軍によって銃剣や発砲などで武装制圧し、鎮圧された多くの一般市民が犠牲となった。この事件は、一部の知識層だけの社会運動が一般市民の民衆運動に様変わりする引き金となった。

主な出来事
1979年  朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺で長期政権終了
     チョー・ヨンピル、シン・ジュンヒョンの活動禁止措置解除
1980年  チョー・ヨンピル、1stアルバム『窓の外の女』を発表
     TVカラー放送開始
1982年  夜間通行禁止令解除に伴いミュージック・バーなどのステージ復活
     プロ野球リーグ発足
     ソウル、第24回夏季オリンピック開催地に決定

Written by:李晟煕 イ・ソンヒ(PANCROSS.INC)


李晟煕 イ・ソンヒ
1965年 韓国生まれ
1989年 MBC江邊歌謡祭大賞曲作詞、プロ作詞家デビュー
1990年 韓国音楽著作権協会会員
1990年 地球レコード入社(Domestic A&R担当)
1990年 文化観光部主催の著作権実務専門家講座修了
1997年 地球レコードA&Rチム長(Domestic総括)
2000年 (株)OXY入社,音楽事業チム長
- 韓国最初のネット配信サイトO2Musicロンチング
2006年 (株)パンクロス設立
- avex music publishing社などの音楽出版社と韓国作家の日本パブリッシング展開
- 韓流ぴあのグルメ、K-POP関連コラム連載、歴史ドラマなどのMOOK参加
2014年から作曲家・ピアニスト梁邦彦氏の韓国マネジメント担当