*

「そういう疑問が生まれて、むしろ当然だと思います。町並みは隣国のタイに似ているところもありますが、外枠は似ていても、たとえばショッピングモールは小規模だし、キャッシュレスもまだまだ行き渡ってはいません。ただ建築ラッシュですね。五つ星ホテルがどんどん建っている中、その数十メートル先に屋台がぽんと建っている。“いまと昔”が混在していて、その渦の真っ只中にいることが感じられます。
 人はみんな笑顔です。優しいですよ。いい意味で、分刻みの仕事をしている人がまだそんなにいないので。渋滞が多いんですけど、せかせかしていない。歩くスピードが遅いんですよ、街なかでも。時間に追われてない。みんな、ゆったりなんですよ。ペースが。僕、いま、向こうでバラエティ番組をやらせてもらってるんですね。『ウィン’ズ・ショウタイム』という冠番組を。日本のディレクターさんも入って、ミャンマーの制作陣と一緒に作っています。日本人は絶対遅刻しないし、むしろ10分前くらいにいるくらい。ところが、ミャンマーの人はゆったり。渋滞を言い訳に遅れてくる(笑)。謎の“待ち時間”があったりします」
 定期的に里帰りすることで、彼の中で「良い作用」が生まれているという。ちなみにおすすめのミャンマー料理は、ココナッツラーメン=オンノカウスエ。見どころは、世界遺産のバガン遺跡だという。

森崎が自分に感じるミャンマー気質を訊ねると「敬語の使い方かもしれない」と即答。確かに彼の話す日本語はとても丁寧で綺麗。心がこもっている。
 「それはミャンマーからきているものかもしれない。向こうは1日誕生日が早いだけで、『あ、年上だね』と冗談で言い合うくらいなんです。日本も目上の人を敬うけど、同学年だと同い年の感覚じゃないですか。
 ミャンマーには、日本語ほど多様な敬語があるわけではありません。ただ、年上に対して話すときの主語は『僕』ですね。『俺』はない。日本では先生に対しても『俺』って言ったりするじゃないですか。だから日本に来たとき両親に訊きましたよ。「あれ、いいの?」って。そしたら「ミャンマーの感覚だとダメだけど、日本だと、『俺』を『僕』と捉えてもいんじゃないの?」と。でも、そんなふうに両国を知れているというのは、いいですよね。もとはといえば、両親のおかげなので感謝しています」
 森崎ウィンの表現の根底にはミックスカルチャーの精神が感じられる。
 「僕だからこそできる表現があるとは思います。それをどんどん見つけていきたい」

2018年、彼はミャンマー観光親善大使に任命された。
 「期待、だと思うんですよね。僕が日本で頑張れば頑張るほど、ミャンマーが自然と知られていく。僕もある程度のことはわかりますが、ミャンマー全域については知らない。ただ、別にガイドブックを作るために大使になったわけではない。僕を通してミャンマーに興味を持ってもらえたら。その「きっかけ」のために、観光親善大使としての僕もいると思っています。そのためには、芸を磨いていくことが僕のゴールにもつながるし、僕を任命してくださった方が思い描くものに対しても、貢献できるんじゃないか。そのために純粋に、自分を磨くしかないと思っています」
 スマートでクールなルックスとは裏腹に、大らかでフレンドリー、さらに平明なポジティヴィティにあふれていることが、彼の魅力だ。人間としてのこの心地よい肌ざわりも、ひょっとするとミャンマー由来のものなのかもしれない。
 ミャンマーを日本語で表すと?彼の美しい日本語をもう一度聴きたくて、最後に質問した。
 「『楽』。『たのしい』でもあり『らく』でもある。みんな、ある種、(まわりの目を)気にしてないから。たとえばファッション。流行りだからといって、同じものを着なくていい。なにを着てもいいんです。だから『気楽』になれる。あと、ミャンマー人は、人が好き。ミャンマーにいると『楽』ですよ」
 楽=リラックス。ウィン・スマイルが、その真実を体現していた。

* *

Written by:相田冬二


*

「日本の娘」

「日本の娘」
日ミャンマー最初の合作映画で、「ミャンマー映画の父」と呼ばれるニープ監督がPCL映画製作所(当時)の協力の下で制作し、当時ミャンマーで大ヒットした作品。今回、唯一国立映画アーカイブが所蔵するフィルムを元に、デジタル復元。10月26日に、ユネスコ「世界視聴覚遺産の日」特別記念イベントとして、国立映画アーカイブ長瀬記念ホール OZUにてプレミア上映とトークイベントが実施される。

国立映画アーカイブ