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小橋めぐみ
人間は、そんな単純な生き物だったりする、という事実を、
ホン・サンスはそっと提示しているのかもしれない
演劇祭まで残された時間はわずか十日。紅葉真っ盛りのソウルの女子大学で講師として働くジョニム(キム・ミニ)は、校内で起きた恋愛スキャンダルの穴埋めをするために、かつて演劇界で名を馳せた叔父のシオン(クオン・ヘヒョ)を臨時の演出家として招くことになる。というのも、学生たちに演出をしていた外部の男子学生が、七人の生徒のうち、三人と同時に付き合っていることが発覚し、その三人が降板。残った四人だけで寸劇を作らなければならなくなったのだ。
演劇祭に向けた稽古が始まる中、ジョニムの上司である女性教授と叔父のあいだには、大人の恋愛が始まりそうな気配が漂い、学生たちの恋愛スキャンダルも、まだくすぶり続けている。そのわずか10日の間に様々なことが起こっていく。
もっとも印象的だった場面は、寸劇の発表が終わった後の打ち上げのシーンだ。叔父は四人の学生に向かって、こんな人になりたいと希望を、即興詩で語ってみようと提案する。最初は怖気付いていた学生たちだったが、そのうちの一人が思い切って、口を開く。
その一言目が発せられた瞬間、映画の空気は変わり、切実さが場を満たし始める。学生たちの素直で真実味のある告白に耳を傾けながら観ている私もまた、彼女たちの言葉に呼応するように、心を動かされた。
あの場面は、一体どうやって撮影されたのだろう。即興芝居の最中に起きたことを、そのままカメラがドキュメンタリーのように収めたのではないかーー。
そう思わずにはいられなかった。
彼女たちの言葉や涙を静かに受け止める叔父の姿がまたいい。ドキュメンタリーの空気に流されず、真実と芝居を結ぶ役割を、しっかりと果たしている。叔父が四人の真ん中にいたからこそ、あのシーンは映画の中で浮くことなく成立したのだろう。
今回、キム・ミニ演じるジョニムは、どこか観察者のように佇んでいる。学生たちのいざこざの間に立ち、叔父と上司の恋愛めいた空気にも目を光らせる。
しかしそれは傍観ではなく、常に状況を受け止め、正しさを保とうとする姿勢でもある。
三股をかけ、問題の発端となった男子学生は反省の色も見せず大学に現れ、自身の正当性を主張する。「間違ったことはしていない」と。そして演出の続行を直談判してくる。そんな彼に対し、ジョニムは声を荒げ、信じられないと言った様子で追い返す。
また、叔父に対しても複雑な思いが揺れ動く。尊敬はしているものの、ジョニムは彼が妻帯者だと思い込んでおり、そんな叔父が、自分の先輩と恋仲になろうとしている状況を、素直に受け入れることができない。
つまり彼女は、どんな時も、まっとうな立場を保とうとしている。ジョニム自身にも、かつて恋人がいた時期もあった。しかし今は一人で暮らしている。
「誰かと親密に暮らすのは簡単なことじゃない」と語り、
「今がいいです。汚れがなくて」と、静かな平和を望むように言う。
そんな彼女がラスト近くにビールを飲む場面がある。それは長く身につけてきた“正しさ”から、ほんの少しだけ外れることを、自分に許した瞬間なのかもしれない。
わずかな酔いが、彼女の内側に張り詰めていたものを、ほんのひとときだけ緩めていく。
それにしても、川のせせらぎの音を聞きながら、屋外の席でうなぎを食べる場面の、なんとも美味しそうなこと。自分たちで炭火で焼いたうなぎを、ハサミで切って頬張る。あんな気持ちの良い場所で焼きたてのうなぎを食べて酒を飲んだら、私の心もきっとほぐれていきそうだ。
人間は、そんな単純な生き物だったりする。
その事実を、ホン・サンスはそっと提示しているのかもしれない。
「小川のほとりで」
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:キム・ミニ/クォン・ヘヒョ
2024年/111分/韓国
英題:By the Stream
配給:ミモザフィルムズ
12月13日(土)よりユーロスペースにてロードショー
*ホン・サンス監督のデビュー30周年を記念し、新作5本を5か月連続で公開する「月刊ホン・サンス」が開催。「旅人の必需品」に続く第2弾は「小川のほとりで」。
暉峻創三による「ホン・サンスはどこへ行く?」論
「ホン・サンスが撮った映画」論
「ホン・サンスが描く旅と街」論
40ページに及ぶ“ホン・サンスの世界”を掲載。
定価:2,420円(税込)
発行:A PEOPLE
ユーロスペース、Amazonほか一部書店にて発売中