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── ひとりひとりのインタビュー以外に、彼女たち同士がマイクを向けあうようなそぶりを見せながらお互いに意見を聞き合うシーンなどがあって、カメラと撮影者をとても自然に受け入れている様子が感じられました。

 ありがとうございます。そのことと関連しているので、フランスのソルボンヌ大学でこの映画についてのマスタークラスをした時の経験をお話ししたいと思います。その時に集まったのは映画を専攻する大学院生が多かったのですが、一番、議論となったのは「なぜこの映画は、同じような施設を撮っている他のドキュメンタリーと違うのか?」ということでした。まず、彼らが指摘したのは、この映画では少女たちを写すだけではなく、声しか聞こえない監督も登場人物となっていて、彼女たちと一緒に映画を作っているような気がするということでした。例えば、私が“名なし”と呼ばれる少女に「僕に16歳の娘がいると君に伝えたら、悲しそうにしたね」と話すシーンがありますが、そこは“私”というキャラクターの説明になっている。たとえ声しか聞こえなくても、同じ仲間、キャラクターだと感じられるとのことでした。
 もうひとつ言われたのは「この映画は“独裁者”が撮っているようには見えない。デモクラシーがすごく感じられる作品です」ということでした。それは私が最初から考えていたことで、彼女たちにも「私はあなたたちを撮影しにきたわけではありません。あなたたちと一緒に映画を作ろうと思ってやって来ました。ですから、あなたたちは、自由に何をしていてもいいですよ」と言いました。だからこそ彼女たちは、取材のまねをしたりマイクを持って歌を歌ったりしたのだと思います。

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── 少女たちが自分自身のことをとても豊かな言葉で語ることにも驚きました。

 いろんなことを語ってくれましたが、実はそれはカメラにとらえられている瞬間だけなんです。他の時は絶対にしゃべらない。映画を見ていただくとわかりますが、ほとんどのインタビューがまわりに他の子がいない状態で行われています。インタビューの前に私自身が話をする時も1対1でした。他の人のいないところで2人きりになって、私自身が相手の内面に入って旅をするように話せたら、彼女もこちらの内面に入ってくる。私が撮りたいのはすべて話してくれる人。そして、話を聞いた後でどの部分を使うかを決めればいいと思います。

── イランの少女たちを撮影した映画ですが、彼女たちの話を聞いていると日本でも「私の物語だ」と思う人が多いのではないかと感じました。ひとりひとりの少女と向き合って撮影した作品が世界中の少女にもつながる普遍性を持ったことについてはどのように考えますか?

 私が作りたいのは人間の内面、魂についての映画です。小津安二郎監督が大好きなんですが、小津監督の映画を見終わると、映画の中のおばあさんやおじいさんがイランの自分の家の隣にいる人とそっくりだと感じることがあります。それは彼らの魂を描いているからです。私もそんなふうに人類の痛みについて語る作品を作っていきたいと思っています。

Written by:佐藤結


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「少女は夜明けに夢をみる」
監督:メヘルダード・オスコウイ
11月2日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー

© Oskouei Film Production