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A PEOPLE CINEMA

「5時から7時までのジュヒ」

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月永理絵


ひとりの女性が最後に浮かべる笑顔

アニエス・ヴァルダの「5時から7時までのクレオ」の話を、長いこと誤解したまま覚えていた。最後に浮かべるコリンヌ・マルシャンの笑みがあまりに印象深かったせいか、診断結果が出るまで不安を抱えたまま2時間を過ごしたあと、すべての不安が解消するハッピーエンドなのだと思い込んでいた。実際の終わり方は、もっと陰鬱で痛ましい。彼女の前にようやく現れた医師は、治療の開始を告げ(それはつまりがんの告知である)、あっというまに車で立ち去っていく。この突然の事態を前に、コリンヌ・マルシャンは呆然と立ちすくむ。ただし、すぐに立ち直りきっぱりと病と闘う意志を述べる彼女の顔には、私が覚えていたとおり、美しい笑みが浮かんでいた。

チャン・ゴンジェ監督の「5時から7時までのジュヒ」が、ヴァルダの映画をもとにしていることは言うまでもなく明らかだ。物語の構造はほぼ同じ。大学に勤めるジュヒという女性が、医師からがんの疑いを告知されたあとに過ごす2時間を描いた映画。随所に時計が映され、時間経過を示すのも同じ。カラーからモノクロへと移っていく「クレオ」の冒頭場面も、また別の形で再現される。

とはいえ、時間が経つにつれ「ジュヒ」が「クレオ」とはまったく別の試みをしようとしていることが見えてくる。「クレオ」の一番の特徴は、主人公が5時から7時までに体験する出来事を、あたかも観客自身がリアルタイムで体験しているような感覚に陥らせることにある。90分ほどの上映時間が示すように、その時間は編集によって調整されているわけだが、クレオがパリの街を歩きまわり、出会った人とその都度会話をしていく、その移動のリズムが、観客にリアルな感覚をもたらす。

一方チャン・ゴンジェ監督は、主人公のせわしない動きによって時間の経過を表すのではなく、彼女がある一箇所に留まりつづける、その停滞によって時間の経過を映していく。ジュヒは、病院から大学の研究室に戻ったあとほとんどここから移動しない。代わりに、この部屋を訪ねてくる人々を迎え入れ、対話をし、そして彼らを送り出す、という行動がくりかえされる。外に出て同僚と話をしても、彼女の足取りはつねに研究室へと戻っていく。さらに映画は驚くべき方法をとる。カメラはジュヒのもとを離れ、ある演劇の稽古場へと移動する。本人が不在のまま、それどころか彼女とまったく関わりのない人々が交わす会話を、私たちはしばしの間見守ることになる。そうして、このまったく関連のないかに思えた場面から、ジュヒの家庭環境やこれまでの人生が徐々に見えてくる。

ひとりの女性の人生でもっとも緊張を強いられた時間、その貴重な2時間を描くうえで、なぜカメラは彼女から離れ他の人々を映さなければいけなかったのか。研究室のなかで過ごす彼女の姿だけを映すことだって可能だったのに。そんな疑問がつい浮かんでしまう。しかしそれこそがジュヒという女性の日常でもあるのだろう。自分の命にかかわる重大な出来事を知っても、いつも通り研究室の椅子に座り、仕事を片付け、来訪する学生たちの相手をし、同僚の愚痴を笑顔で聞く。娘の待つ家に帰るのは毎晩遅くなってからだ。そして自分たちの夫婦関係は、自分の預かり知らぬところで、他人の手によって別の物語としてつくりあげられる。ジュヒはクレオのように不安にまかせて外に飛び出すことも、自分の話を本当に理解してくれる誰かと出会うこともできない。それがジュヒの過ごす時間であり、これまで歩んできた人生そのものだ。

いくつもの場面が重なり、会話のなかで少しずつ関係性が示されるこの映画では、徐々に時間軸や空間的構造が混乱しはじめる。どこまでが現実でどこからが夢なのか。いくつもの混乱と迂回を通じて、ひとりの女性の人生が、おぼろげに、だがたしかに浮かび上がる。こんなふうに描かれたジュヒの人生をどのように受け止めればいいのか、答えは出ない。だがクレオと同じように、研究室へと最後の来訪者を迎えたジュヒの顔には、強い決意と希望とが混ざった美しい笑顔がたしかに浮かんでいた。


「5時から7時までのジュヒ」

監督・脚本:チャン・ゴンジェ
出演:キム・ジュリョン/ムン・ホジン
2022年/75分
原題:5시부터 7시까지의 주희/Juhee From 5 to 7
© 2023 MOCUSHURA Inc. All rights reserved.
(劇場初公開)


「映画監督チャン・ゴンジェ 時の記憶と物語の狭間で」
配給:A PEOPLE CINEMA/chocolat studio
3月7日(金)より ユーロスペースほか全国順次公開


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